「せとうちのスタイル」編集長の山本政子さんと、雑誌・山本さん、コラム執筆について対談しました。

雑誌「せとうちのスタイル」にコラムを執筆させていただける機会をいただけることになりました。今回は、「せとうちのスタイル」編集長の山本政子さんと、「せとうちのスタイル」の雑誌・山本さんご自身について、そして私たちが担当するコラムの内容について、ポッドキャストでお話を伺いました。

雑誌は4月に発売です。見かけたら手にとってみてください。

音声はこちら:
以下はその内容の書き起こしです。


真理子:こんにちは。

伸一:「せとうちスタイル」から、山本政子さんに来てもらってます。

真理子:よろしくお願いします。

山本:よろしくお願いします。こんにちは。

伸一:こんにちは。今度出る、「せとうちスタイル」の中に、僕たちが、何か書かせてもらえるということで、

山本:コラムを、お願いしたいなと思います。

伸一:ありがとうございます。それで、けっこうテーマが広かったので、お話したいなというのと、私たちも雑誌のこととか、山本さんのことを、すごくよく知っているわけではないので、ちゃんとお話を聞いてみたいなと思ったので、よろしくお願いします。

山本:はい、お願いします。

伸一:質問を、10個くらいじゃないかな。15個ぐらいかな。

山本:多い

伸一:でも、すごいシンプルなのもあるので。

山本:はい。

Q1.今日の朝ごはんは、何を召し上がりましたか。

山本:今日は、うちは、だんなさんが、実は喫茶店をやっていて。

伸一・真理子:ええ、いいな

山本:創業40何年だったかな、自家焙煎のコーヒー屋をやっているのです。なので、よくサンドイッチとかを、作って置いておいてくれたりするので、今日は、コーヒーとそのサンドイッチを食べてきました。

伸一:ああ、いいな。朝ごはん環境としては、ベストだな。そうなんですね。

山本:はい、そうなんです。

伸一:この感じで、いろいろ聞かせてください。

Q2.山本さん、何か趣味はありますか。

山本:趣味は、最近は、映画とかばっかり見ているのですけど、あとは、本を読むのが好きなんです。でも、すごい偏っていて、スティーブン・キングが、すごい好きなので、キングばかり読んでいます。

伸一:怖いのが好きとか、ちょっと

山本:キングを読んでいると言うと「怖いのとか、ホラーが好きですか」と言われるのですけど、私の中でキングは、泣く小説です。キングは、怖いだけではなくて、何かどこかに救いがあったり、人間の愛みたいなのが、底辺に流れているところがあって、毎回、必ず人は死ぬのです。人は死ぬし、怖いのだけど、物語が深くて、すごい号泣ポイントがある。

伸一:キングさんも、別に、びっくりさせたり怖がらせようとしているわけではなく、それを通じて、そのことを書いている。

山本:単純に本当に好きで読んでいる。すごい偏っているのですけど、読んだりしています。

伸一:ありがとうございます。

Q3.コロナ期間中、どんな過ごし方をされていますか。

山本:やはり、コロナになってから、取材に伺うということが、できなくなって、瀬戸内の島に、私たちは、伺うことが多かったのですけど、島というと、同じような感じがするのですけど、やはり島によって、全然違って、だから、大きな病院がある島もあるし、診療所がある島もあるし、だけど、診療所も無い島もあって、なので、やはり「私たちが伺うことが、ちょっと迷惑になるな」というのもあったので、取材とかは控えていて、ほとんど出て行かない感じで、なので、「せとうちスタイル」も年4回出していたのですけど、それが年1回になったりもして、なので、あまり出るということがなくなって、本当に中に居ることが、多くなっちゃいました。だから、「せとうちスタイル」についても、いろいろ考えたり、瀬戸内の島の、なかなか会えなくなった皆さんのこととかを、考えたりする時間が増えたので、そういうのは、良かったかなという感じです。

伸一:僕たちも、おじいちゃん、おばあちゃんたちよりは、島から出ることが多かったり、お客さんを迎えるのも、けっこう迷いながら、やったりとかしているから、確かに、島の雰囲気とかも、違うだろうし。ありがとうございます。

Q4.初めて書いた記事は、どんなものでしたか。

山本:私は、今「せとうちスタイル」の編集長をやっているのですけど、コピーライターも実は、やっていて、始まりがコピーライターなのです。だから、初めて書いた記事は何だったか、もう昔のことなので。でも島のことを、こんなふうに書き出した始めは、男木島のお話です。瀬戸芸が始まる前に、いろいろ仲間たちと、島について、歩いたりとか、しだして、私の島歩きのデビューが男木島で、今の男木島と、また違う男木島な感じだったのです。

伸一:そうとう前ですよね。

山本:瀬戸芸の前なんです。瀬戸芸前から皆で歩いたりして。私が、なんで男木島かというと、実は、いろんな島に行くという人もいるのですけど、私には、4人くらいの仲間で、定点観測をしていたというか、男木島に通って、定点観測していたので、定点観測って、言い方があれなんですけど、本当に会いに行っていたというか。だから、それで、実は、島のこととかが、すごい、好きになっちゃったから、今こんなふうにライフワークみたいに、仕事になっちゃっているのですけど、なので、初めて書いたのは、男木島のその時は、昔牧場があった。
それを探すというのを、やったのです。4人で話をしながら、道無き道を行って、「この辺だったよ」というのを聞いて行ってというのを、記事にしました。

伸一:なるほど。当時も違っただろうしね。

真理子:そうだね。

伸一:ありがとうございます。面白い。ちょっと思ったのは、記者さんとかからきたのではなくて、もっとクリエイティブ要素とか、広告とか、そういうところから、いらしているのですね。編集長。

山本:そうですね。だから、今もコピーの、広告の仕事もしているし、ライターとコピーライターと、両方をしている感じです。だから、ちょっと自分的にも面白いかなというか。

伸一:なるほど。ありがとうございます。

Q5.「瀬戸内海との出会いは、いつ、どんなものでしたか」という質問を、次に準備していたのですけど、男木島になるのですか。

山本:そうですね。後で思ったら、私、母のほうの実家が、広島県の島で、お墓参りだけ島に行っていたのです。だけど、その時は子供だったし、そんなに大人になってからも、お墓参りという意味のほうが、大きかったのか、あまり意識していなかったのですけど、「ああ、そういえば、瀬戸内海、近かったな」という、今思えば。でも、こんなに瀬戸内のことをし出したのは、男木島の皆さんとの出会いが、お母さんたちとの出会いが大きいです。

伸一:男木島のお母さんたちというのは、なんですか。おばあちゃんたちというか。

山本:そうですね。年齢で言うと、おばあちゃんたち。どうして男木島のことを好きになったかといったら、初め行き出した頃は、本当に食べるところも少なくて、それも確認して行かなければ、食べられないというか「開いていないかも」みたいな。船が着いても、本当に人に会わないことが、多かったのです、当時まだ。

それで、私たちが2時間くらい、いろんなところ、島を散策して歩いて、帰ってきたときに、1人のお母さんが、糸で釣りをしていたのです。波止場のあたりで。位置はなんとなくぼんやり、記憶があるのですけど。そしたら、そのお母さんを見たら、私たち、誰にも会わないで2時間歩いているから、人恋しくなって「お母さん」という感じで行ったら、そのお母さんが、すごい普通に「釣りする?」と、私たちに糸を。そのお母さんが言っていたのは「猫のご飯にする」とか言って、魚の。その情景が、お母さんと仲間が3人糸を垂らして釣っている、その情景を私は上の方から見ていたのです。後ろ姿4人の。なんかもう、すごい素敵で、空と海と、そして、糸で釣りをする姿。「世界に私たちだけしか、いないかも」みたいな。本当に、そんな感じです。それがもう、本当にあったから、今もこういうことを、島のことを書いているという感じです。

伸一: setouchistyle.jpの「せとうちスタイルとは」というところが、トップページにあるでしょう。あれの冒頭が「瀬戸内の島々を旅していると、ときどき。この風景に会うために、今日、船に乗ったんだと思うことがあります。この人たちに出会うために、この島に来たのだと思うこともあります。」というものですけれども、これを見ると、今のお話を聞くと、原点なんだなと、

山本:原点は、男木島のその風景なのです。

伸一:糸を渡してくれるおばあちゃん。なるほど。ありがとうございます。

Q6.瀬戸内海の島、いくつ行ったことがありますか。

山本:瀬戸内海の島、いくつ行ったかですか。実は、その質問って、すごいされるのです。いろんなところで。実は私は、島にいっぱい行くことを、私の中の目的にしていなくて、だから、わりと同じ島に何度も通って、結局その島にいる、自分にとって大切な人に会いにいくということが、目的になっているので、数で言うと、本当に少ないと思うのです。まだ数えたことはないのですけど。だから、たぶん、何百とある島の中の、本当に数える程しか、きっと行っていないと思うのです。

伸一:定点観測型と。

山本:はい。

伸一:そういう、観測というか、続けていくことで、分かることが

山本:そうですね。結局、そこに大事な人たちが増えてくるのです。伺って、話を聞いたりとかすると、初めは島に行くことが目的で行くのですけど、結局そこにいる人たちが、どんどん大切な人が増えていくので、今度は「島に行こう」だったのが「あ、何々さんに会いに行こう」となって、通っていくから、その人に会いに行くので、同じ島に行く感じです。そうすると自然と、特に思うのは、男木島とかは、瀬戸芸が始まる前に行っていて、1回目の瀬戸芸があって、また瀬戸芸がいろいろ続いていますけど、その変化をちょっとだけ自分の中で、いろいろ見ていたり、ちょっと感じていたりするところがあるので、同じ記事を書くのも、もしかしたら、ちょっと違う目線で書けるかなというところが、あったりします。

伸一:そうですよね。

真理子:私たちは、引っ越してきてからの男木島しか知らないので、昔の様子とか、全然想像ができないけど。

伸一:そうですね。なんか話には聞くけど、若い人、学校が再開する前の話と、さらにもっと前の話も聞くけど、そこらへんは、島の雰囲気みたいなものが、想像できないところがあるかな。

山本:ああ、そうですね。でもきっと、私とかよりももっと前に、島に通われている方が、いっぱいいらっしゃると思うので、そういう人たちのお話も聞けると、面白いですよね、きっと。面白いというか、また新しい発見というか、あるような気がします。

Q7.日本にとって、瀬戸内海、瀬戸内の島々は、どういうものだと思いますか。

山本:日本にとって。私が、そんなに日本全国を旅したことがないので、比較とかは、できないのですけど、瀬戸内の島々、「瀬戸内が良いな」と、個人的に思うのは、やはり瀬戸内海は昔から、モノや人、いろんな人が行き来している、今で言う、高速道路みたいなものだったと思うのです。だから、瀬戸内の島、しまなみ海道沿いとか行ってたり、いろいろな所に行くと、島の表情が違ったりするのですけど、それは、みかんの島とか、砕石、石を採る島、オリーブ、漁業の島、そういう島の表情は、結局はそこで暮らしている人の生業というか、生きていくためのモノでできている風景のような気がしていて、それは、結局人が暮らしている、人が行き来していた瀬戸内海だからこその、島の表情なのかなと思って、やはりそれは、人が暮らしている島、瀬戸内海ならではなのかなと思ったりします。

伸一:なるほどね。交易路とか、そもそも京都から、南の方に、西の方へ行く所で、シルクロードっぽく、文化が続いている場所みたいな。近いから役割分担もするし。そうやって、だんだんできてきた。ありがとうございます。

Q8.「せとうちスタイル」は、どんな雑誌ですか。

山本:17年の4月に創刊したのです。一応、瀬戸内に暮らしていると、海とか島がすごく身近で、家のちょっと港にも近いので、高松港にも近いので、時々船の汽笛というのか、音とかも聞こえたり、ちょっと行くと、島とか、ポコポコ見えたりする。仕事とかで、例えば、小豆島に打ち合わせとかいうときでも、船に乗って行ったりするのですけど、船は移動手段なのですけど、見えるのが、島とあれだから、ちょっと船旅気分みたいな。そういうのを、「私たちは、もしかしてすごい幸せなんじゃないかな」と思って、そういう環境で暮らしていることが。そういう瀬戸内に暮らす幸せというのを、1つのスタイルにして、いろんな人に届けられないかなと思ったのが、きっかけなのです。だからよく「北欧スタイル」とかあったりするのですけど、その「せとうちスタイル」みたいなことを、届けられないかなと思って作りました。

伸一:スタイルということだから、用意したのは、つまりライフスタイルみたいなことなのですかというけど、それと、やはりさっきのトップページの続きのところに、景色のことと、何十年も変わることなく、2人で船に乗り、ご夫婦とか、農家の人たちのことだとか「引っ越してきた人たちの暮らしがあるよ、受け入れてくれるよ」というようなことが、書いてあるのですけど、そこにある人たちのライフ、総称して「せとうちスタイル」という

山本:そうですね。そこに、暮らしていたりとかすることは、幸せかなと思って。結局は、本当に、幸せって、基準は人それぞれ違うのですけど、瀬戸内に暮らしていると、そういうものを見つけられるのではないかなと思って、それぞれの尺度の幸せみたいなものが。

伸一:なるほど。いいね。どう受けるということだものね、雑誌が。ありがとうございます。

Q9.雑誌のほうは、どういう読者に、届けているものですか。

山本:一応本当に、全国の人々にお届けできたらと思うのですけど、実際に、見てくださっている方は、瀬戸内が側に無い方が多いような気がします。

伸一:そうなんだ。

山本:はい。瀬戸内の風景、わりとだから、雑誌の中で、瀬戸内の写真とかをけっこう使っているのですけれど、それは、やはり風景でないと伝えられないというか、風景を見てもらうだけで、瀬戸内の良いところは、絶対に分かるし、暮らしている人たちの笑顔とかも伝えられるから、なので、たぶん、瀬戸内が近くにあると、瀬戸内というか、海とか島が近くにあることが普通だと、日常、当たり前の風景になっちゃっていて、なかなか、よく島のお母さんが「どこがいいん」と言ったりするけど「いや、もう、これが良いのです」というか、住んでいるからゆえに、日常の風景になっちゃっているところがあるのかなという気もするのですけど。

なので、瀬戸内の風景が、あまり、いつも側にいない人たちに、「せとうちスタイル」を置いておいてくれたら、いつもお家の中が、瀬戸内になるというか、そんな本になったらいいなとは、思っています。

伸一:そういえば、ちょっと違うかもしれないのですけど、東京世田谷の、僕の実家の駅前に、瀬戸内製パンという、もうなくなっちゃったのですけど。この間もう変わっていたのですが「瀬戸内ブランドみたいなことが、あるんだな」とその時に思って、僕もぼんやりイメージはあったのですけど、「せとうちスタイル」が作ったものですか、この

山本:とんでもないです。違います。

伸一:東京の世田谷区の、小田急線の駅を降りる人たちに、瀬戸内というのが、イメージを与えるものとして、使われているというか、そう思われているということなのだから、瀬戸内感というのが、さっきの面白いなと思って。瀬戸内感。言ったら、広いじゃないですか。せとうちなんて、どういう意味というのがあるのだけど、でもやはりスタイルみたいなものとか、瀬戸内と聞いた時に、人が思い浮かべる何かというのは、あるのだなというふうに

山本:そうですよね。たぶんあるのだと思います。それぞれ。

伸一:その中には、やはり表紙のきれいな写真とか、やはりスタイルというのがあるのだということが、ちょっとずつ、読んだ人の中に残っていて、そういうものが、入っていると思うんだよね。

山本:だといいな。

伸一:すごい。ではそろそろ、私たちが何を書こうかなという

Q10.今回の号は、いつ販売ですか。

山本:次は、来年の4月に発売する予定です。

Q11.そのテーマは何ですか。

山本:今回テーマをいろいろ考えたときに、ちょっとコロナもあって、瀬戸内という場所を生きる場所というか、自分たちの居場所だと考え、1つの選択肢として考える方々が、もしかして増えているのではないかと思ったのです。そのときに、たぶん移住というか、私移住という言葉が、実は正直言うと、なんとなくしっくりこない感じがするのですけど、移り住むというか、引っ越しとはまたちょっと違う感じ、覚悟が要ることなのだと思うのですけど、そのときに、一番気になるのは、家と仕事がないと、やはり夢とか思いだけでは、そこでは生きていけないので「せとうちスタイル」で「では何ができるか」と思ったときに、ちょっと空き家を、例えば、いろいろご紹介されている方とか、仕事ということを、紹介できないかなと思って

ただ、情報とかだけだったら、私たちより知っている行政の人とか、いっぱいいらっしゃると思うので、空き家に関しては、尾道に「空き家プロジェクト」さんという、本当にすごい長く、いろいろなことをされている、町おこしも含めてされている方がいるので、その方々を紹介することになって、仕事という面では、ここは、いろいろ考えたのですけど、リモートのお仕事を持って移住される方は、それでお仕事ができるのですけど。例えば自営、カフェをしようとか、農業・漁業をしようとか、考えていらっしゃる方たちは、やはり、わりと生きていく力がある人かなと思って、ちょっと変な言い方ですけど。

伸一:分かりますね。僕らは、リモートワーク前提なので、そもそも、東京からバンコクに引っ越して、そこから、男木島に来ているから、土地と仕事というのが、切り離されているのです。ところが、ここに住んで何かをする、根づき方の、根の深さが違うとは思います。

山本:わりと今まで、「せとうちスタイル」、そういう皆さんの物語をご紹介してきたのですけど、でもそうではないというと変なのだけど、瀬戸内に住みたいと思ったときに、やはり安定するって、大事かなと思ったのです。瀬戸内に、その場所に長く住んでもらうのは、やはり安定することも、大事だと思って、できればご夫婦で、できれば、家族で移住できるという方法が、やはりそこに長く暮らすための、1人で来るよりは、大事なのではないかなと思って「島に移住するのだけど、会社員という選択もありますよ」と、今回ご紹介しようかと思っています。

なので、1つは、尾道の飲食店グループの方、そこも移住の方を、すごく受け入れていらして、そこから1人立ちして、いろんなお店をされている方が、多いところがあるのですけど、あと、小豆島のオリーブの会社を紹介しようと思っていて、そこはいろんな働き方が、農業だけではない働き方ができたりするので、そういう、私の中の思いとしては、家族で本当に来てもらって、そこに長く暮らせる形として「会社員というのも、1つの選択肢ですね」というのを、ご紹介できたらなと思って、考えています。

なので、家と仕事ということが、特集では紹介するのですけど、今回どうして、西川さんご夫妻にお願いしたいかなと思ったかというと、男木に来られたというのと、そこで、どうお家、自分たちでとか、あとは、お仕事の方法もそれはやはり、ちゃんとベースとしてあったというのも、大きいかなと思ったり、もう1個思ったのは、やはり教育ということも、ものすごい大事かなというのもあって、お子さんたちのこととか、学校再開されてから、実際どんなふうに子供さんたちとかいう、そういうことも、教えてもらいたいなとか、どう考えていらっしゃるのかなとか。今後ですけど、今後とか。これからたぶんお子さんたちは、きっと大きくなっていく。だから、自分がどの世代かでも、全然変わってくるなと思って、そういうのを、島からいろんなことを発信されたりもしている、そういうことも含めて、お話を伺いたいなと思ったのです。

伸一:分かりました。今の、今後についてとか、家族としてどう考えているのかというのは、わりと今、本当にテーマなのと、自分たちが、どういう経緯でこういう生き方をするようになって、次について、今どう考えているかということを、そのまま書くのがいいのかなというふうに、その切り口で書くのがいいのかなと思いました。

山本:はい。ぜひぜひ。

伸一:生きる場所としての瀬戸内という、最初のほうでおっしゃった、そういう僕らはどういうふうに生きていますよという。たぶん、考えていることベースというか、あるのではないかというところなのです。

真理子:「こう思ってきて、こんな感じで、今子供たちが大きくなるにつれ、そういうふうにしていこうかなと思っています」みたいな

伸一:そうだね。その中で、男木島のこういうところが、面白いみたいな。自分たちの暮らしに与えてきた影響みたいなことについて書く。書くというよりは、そっちのほうがいいのだろうなというふうに、思いました。

少し広い話なのですけど、コロナのことがあって、リモートワークが広がって、東京とか大阪とか、大都市でない所で働くという選択肢について、考える人たちが増えてきているような感じはするのですけど、読者の人たちの中にも、そういう、いわゆる都市ではない暮らしというのを、テーマにしていると思うのですけど「皆の関心が向いてきているな」とか「最近ちょっと増えているかな」というか、そういうのって、ありますか。

山本:編集部に直接瀬戸内のことというか、観光というか、観光って変ですけど「瀬戸内の魅力について聞きたい」という問い合わせは、実は、東京とかから多くて、でもそこはわりと、例えば何かに出て「ちょっと瀬戸内の話をしてくれませんか」というのは、ちょっとだけ増えてはいて、読者の方からは、直接というのは、やはりなくて、ただ、Facebookとか、インスタだったりするのは、わりと見てくださっている方が、増えている。だから、年1回になっちゃったので、そんなに頻度としては、やはりアップできない、島にももちろん行けていないので、頻度で言うと、本当に少なくなっちゃっているのですけど、見てくださったり、フォローしてくださる方は、増えているというところは、あります。

伸一:なるほどね。この感じは、続いていくかなとは、思っているのです。コロナのことだけではなくて1回そのことに、在宅で働くことになった人たちは「あれ?」という「もしかしたら、玄関を開けたときの、外の景色が選べるじゃん」という、あれには1回なったので、そういうふうに続いていく、都市から田舎へとか、もうちょっと場所を選ぶみたいなことが、当たり前になるふうに、動いていくかなと思ってはいるのです。他の人たちが、実際にどう思っているのか、ちょっと分からないので。

山本:そうですね。だけども、本当に受け入れる側というと、行政とか、そういうのになっちゃうので、私とかは、直接は分からないのですけど「島へ」というのは、やはり今、簡単に私が「はいはい、じゃあ、島へ」というのは、絶対に言えなくて、なぜなら私は住んでいない。島にも住んでいないし、だから簡単に本当に言えないし、絶対言えないと、いつも思っているのです。

だけど、島に移住された方、いろいろ本当に、いろいろな形のスタイルの方を取材していると、そこでやはり「自分たちの居場所を見つけた」という方が、すごく多いのは、多いです。必要とされているというふうに、感じられたり、自分たちのできることと、できないことをちゃんと、そこで考えるという、そうすると、すごい暮らしやすいというか、やはり、島に行ったら、一番自分が若くなったりするから、いろいろ島の、結局、要は、忙しくなるのです。「島だから、のんびり暮らそう」という生活では、ないじゃないですか、本当のところ。なんかもう、頼りにされるから。それは嬉しいことだけど、だけど、「できることと、できないことをちゃんと考えたりする」というのは、移住の方は、よくおっしゃいます。

伸一:なるほど。それは、もともとは、必要とされているかどうかが、よく分からないような暮らし方を、なんとなく感じていたり、振り返ったらそうだったのかなという方だったり、自分が何をやるのかとか、コミュニティ、地域の中で、どういう関わり合いというか、役割を持って、どういう環境を周りに築くのかということを、やっていない「今から振り返ると、やっていなかったな」と思うようなところの人たちが、今、もしかしたら、Facebookとか、Instagramでちょっとずつフォローが増えたりしているのかなとか。そのスタイルの中で。

だから、瀬戸内というスタイルを、求めるというよりは、生き方を模索したり、見つけたりとか、別になんか、修行の旅のような顔をして、移ってくるわけではないのだけれども、探しているというか、そこは、何をやっている人たちなのかなという点に聞こえたので、そこに答えるように書けばいい、書くようにしたいと思います。「あなた、どうやって生きているのですか」みたいなことを、聞かれたということなのかな。

山本:でもたぶん、移住されて、また別な所に、元の所に帰られている方も、いっぱいいると思うのですけれど、それはまた、それぞれの人生とか、生き方だから、人、本当に増えているかどうかは、肌感覚でしか分からなくて、申し訳ない、ちゃんと言えなくて申し訳ない感じです。

伸一:いえいえ。すごい深いところで流れている潮流だと思うので、急に統計でポンと「東京からみえる人、増えました」みたいな、そういうことではない、もっと何かあるのかなという。

山本:1つの選択肢として、瀬戸内というものを考えてもらえたら、瀬戸内に暮らす一員としては、嬉しいなと思います。やはり、それぞれの県、瀬戸内は、広島とか、香川とか、7県にまたがっているので、それもまた、そこの、それぞれ個性というかが、あると思うので、どこに初めに行くかで、また瀬戸内の印象も変わるかなと思うので。

伸一:確かにそうだね。

真理子:全然違うものね、島によって。

伸一:隣の島でも、全然違うものね。

真理子:違う。

山本:そうですよね。香川の近い島でも、全然違いますものね。それぞれすごい個性が、表情がちがいますよね。

伸一:では、今日の質問はこのくらいにしようかなと思います。ありがとうございました。
真理子:ありがとうございました。

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