令和3年度 男木小学校卒業式 卒業生保護者挨拶

卒業生の保護者として、まずはお礼を申し上げます。このような卒業式を執り行っていただき、ありがとうございます。また、先生方が毎日子どもたちを育ててくださったこと、子どもたちが楽しく過ごせる場所を作っていただけたこと、この学校があることに感謝しております。

また、このような環境を作り上げてくださっている島と地域の皆様にも改めてお礼を申し上げます。優花を慕い、遊んでくれた先輩、後輩たち子どもたちもどうもありがとうございます。

優花さん、卒業おめでとう!男木島での生活が、優花の人生の半分を占めることになるとは、引っ越してくるときには想像もしていませんでした。

小学校に入学したとき、学校で一番小さかったあなたも今ではみんなのお姉さんですね。今、この学校にいる誰よりも長くこの男木小学校で過ごしてきたの優花さんになりました。

家では、家族が一人増えました。親の仕事も実はなんどか変わりました。

島では、パパとママの友だちとどんどん友だちになっていきました。

おじいちゃん、おばあちゃんにも親しんでもらって、通学の途中で捕まってお話もしてきました。

世界では、感染症が私たちの生活を一変させて、学校も休校しました。島のお祭りもなくなってしまいました。

私たち家族は、この美しい離れ小島で、より濃密な時間を過ごすことにも慣れました。

優花さんが大人になって、この時期を振り返ると、世界の混乱、大人たちのドタバタはどう映るのか考えることがあります。賢いはずの人たちがどんなに頑張ってもできないことがあって、それでもなんとか頑張って暮らしや仕事を作り、世界をなんとかしていたように見えてくれたら、と願います。

家族も、島も、学校も子ども幸福、安心、希望が消えてしまわないようになんとか頑張りました。世界を作り、動かすのは、本当はそうした人々の「なんとか少しでもよくしていきたい」の積み重ねだと、よく見えた数年だったのかもしれません。

これからの未来、感染症がおさまったあとも、人類の予想にないことが今まで以上に起こる予感がしています。中学生になったら、そんな未来に強く楽しく生きていける心と体をじっくり育てる3年間としてほしいです。

これからも島の人たち、先生方など、日々優花と触れ合う人々はみんなあなたを見守ってくれます。これからも一緒に考え、楽しみ、成長していきましょう。

令和4年3月16日 保護者代表 西川伸一

ムカデ対策まとめ。古民家や田舎で近くに林や畑がある家のケース。

インターネット、書籍などをいろいろ調べたまとめ。

結論としては、隙間が多くて林や土に近い家でのムカデ対策の決定版はない。なので、ここではベストプラクティスを並べます。基本は、4つ。

ひとつめ。原因に対して対策をする場合には、「他の虫が来なければ、ムカデも来ない」を原則にする。なので、結局の所、以下のような当たり前の話が並びます。

  • 穴を塞ぐ
  • 乾燥させる
  • 他の虫の餌になるゴミを隠す
  • 家の周囲に木材とかを放置しない
  • 家に触れるような雑草を生えさせない

これを全部実施するのは難しいです。なのでみんな困っているのです。だからこその以下の3つが大事になると思います。

ふたつめは、いざ出てきた時の対処法として、発見したらすぐにやっつけられる体制を整えること。ムカデが出てきたときに、殺虫剤、トングなどが別の部屋にあったりすると、見張りながら取りに行かねばならず取り逃がすことになる。ムカデのいやなところは、取り逃がした際に恐怖心が残ってしまうことで、ムカデとの戦いの半分はこの気持ち悪さとの戦いであることから、ここをがんばる。

みっつめは、蚊帳の活用で、安全安心ゾーンを確保することです。小さな子供だけ入れておいてもよいです。その際のポイントは、天井から垂らすタイプではなく、テントのように布団の下が覆われているものであることです。

最後のポイントは、刺された(正しくは噛まれた)時の対策をとることで害と不安を最小化することです。具体的な方法は、ポイズンリムーバーとお湯です。ポイズンリムーバーは、ダイバーさんから教わりました。その後聞いてまわると、環境省のレンジャー、日常的に虫に刺される可能性がある仕事の人たちは使っているそうです。口で吸い出してはいけないので、針がない注射器みたいな道具で吸い出すものです。すぐにやるのがポイント。

お湯は、43度かもう少し熱いくらいでよいらしく、それを当てることで毒の効果が劇的に弱くなるとのこと

僕は実際小さいのに噛まれた時、これらをやってほとんど痛くない状態になりました。

殺虫剤、防虫剤、軟膏などについて

正直、どのような効果があるのかが見えにくいです。うちでは、スミチオン、オルトラン、家の周りにまく白い粉などをすすめられて実際にやってみましたが、効果を実感することはありませんでした。

軟膏についても同様で自分では経験がないので、なんとも言えないですが、お湯をかけるのを薦めている記事の最後にリストがあるので買っておいてもいいかもしれません。こちらにもいくつかよさそうなのが並んでるんですが、高いです。

まとめ

要するに、家の中も外もきれいにメンテする、でも解決策はないので安全策や対処策を講じる、なによりも安心を確保することでうまく共存するというのが今のところの結論。

令和三年度 男木小学校入学式 祝辞

ご入学おめでとうございます!

今日から小学生ですねえ。楽しく勉強したり、遊んだり、給食を食べたりしましょう!

でもさあ、困ったことがあったらどうしましょうか。悲しいときはどうしましょう?やりたいことがあって、なにかお話したいときはどうする?

はい。困ったこと、悲しいこと、やってみたいことがあったら、大人に相談してください。学校の先生方と地域のおじさん、おばさん、おじいちゃん、おばあちゃんたち、それからお父さんやお母さんは、みんなが幸せに暮らして、大きくなるのを手伝うチームなのです。

つまんなくなっちゃったらいいましょう。悲しくなったら教えてください。給食が食べられなかったら、言いましょう。やってみたいことがあったら、教えてください。お願いします。では、今から、大人とお話します。

では、大人の方々に向けて。

親と学校、地域と学校の風通しのよさについて考えています。

私たち保護者も一緒に教育について考えてみようということで、学校、保護者、地域の人たち、香川大学の大学院生が集まって進めているのが、『男木島、未来の教育プロジェクト』です。授業の時間を使って、妻の真理子さんがファシリテートしながら、地域の大人たち、学校の先生、用務員さんの協力を得て、大学のお姉さんと一緒に子どもたちが動き回り、1年かけて桜の木がある裏山の空き地に丸太のブランコが出来上がりました。あれこれ試したり失敗したり。企画会議、反省会、学校との相談と、私も見ていて大変そうでしたが、それはコミュニケーションの繰り返しでした。風通しはコミュニケーションの量なのかもしれません。

めおんの出る港の前で、春、夏、秋の放課後、子どもたちが遊んでいるのもなかなかいいものです。小学生や保育所の子供たちが自転車に乗ったり棒を振り回したりして遊んでいます。親たちも立ち話をしたり子供たちと軽く運動をしたり、道ゆく人たちと話をしたりします。

4時55分ころになると、最終の5時のフェリーに乗って高松に帰る先生方が通りかかり、親と子と先生、地域の方々が全部揃って、一瞬だけ話をしたり挨拶をしたりします。子供の面白かった話をしたり、ちょっとした相談をしたり、冗談を言い合ったりします。会釈をするだけでもだいぶ違います。風通しのよさは、すれ違う頻度かもしれません。

社会があって、子供たちがいて、大人たちはそれぞれの仕事や生活を頑張りながら、なんとなく連帯して子供達を見守り、面白いこと、学び、美しいことを子どもたちの毎日に手渡していく。

これってもしかして、人類発祥以来の理想なんじゃないか。そこを目指して文明や文化は変わってきたのではないか。と思います。

残念ながら、日本や世界では、この理想はこれまでも、今でも、実現されていない。領土争いがあったり、狩、漁、畑、ものづくり、仕事があって忙しかったり、それでも貧しさがあったり、病気が流行ったりしてできないんです。そうだったらいいのになということを忘れたことにして、大人がばらばらになって、目の前の課題に取り組んでいるうちに、子供たちは成長してしまう。そういう世界ではないかと思います。

この学校はどうでしょうか。男木島にも大変さがありますが、この学校には、子どもたちもみんなも楽しく過ごす何年かの時間を作れる環境があります。私たち親も近所の人たちも少しずつ話し合う準備はできています。

先日、6名の先生が男木島を離れ、新しい学校で働くことになりました。男木島は、新しい先生方を迎えました。

『男木島、未来の教育プロジェクト』が始まった時、私が前の溝渕校長先生にリクエストしたことは「せっかく少人数なので、2学期までに勉強を全部終わらせていただいて、3学期はなんか面白いプロジェクトとかやってくれませんか?」でした。だいぶ無理がありまして、今では笑って反省していますが、あの時は、学校が何を考えているのか、何に困っているのかが分からず、先生たちがどんな人たちでどんな風に子供たちを見ているのかも知らなかった。結果として、そんな無茶な要望を真顔で言ってしまったわけです。風通しが悪いということは、相手を知らず、結果信頼できていないということだと思います。話をしてみれば、「あれ?この先生は僕の子供について、僕が知らないことを知っているぞ。そして、じっくり向き合ってくれているんだな」と思うわけです。

というわけでみなさん!風通しのよいチームを作っていきましょう。お互いのことをよく知ったり、話し合ったり、ちょくちょくやっていきましょう。先生方、みなさん、よろしくお願いします。

はい。長くなりましたが子供たち、大人はみんなで応援しています。楽しんでください。

男木小中学校PTA会長 西川伸一

「せとうちのスタイル」編集長の山本政子さんと、雑誌・山本さん、コラム執筆について対談しました。

雑誌「せとうちのスタイル」にコラムを執筆させていただける機会をいただけることになりました。今回は、「せとうちのスタイル」編集長の山本政子さんと、「せとうちのスタイル」の雑誌・山本さんご自身について、そして私たちが担当するコラムの内容について、ポッドキャストでお話を伺いました。

雑誌は4月に発売です。見かけたら手にとってみてください。

音声はこちら:
以下はその内容の書き起こしです。


真理子:こんにちは。

伸一:「せとうちスタイル」から、山本政子さんに来てもらってます。

真理子:よろしくお願いします。

山本:よろしくお願いします。こんにちは。

伸一:こんにちは。今度出る、「せとうちスタイル」の中に、僕たちが、何か書かせてもらえるということで、

山本:コラムを、お願いしたいなと思います。

伸一:ありがとうございます。それで、けっこうテーマが広かったので、お話したいなというのと、私たちも雑誌のこととか、山本さんのことを、すごくよく知っているわけではないので、ちゃんとお話を聞いてみたいなと思ったので、よろしくお願いします。

山本:はい、お願いします。

伸一:質問を、10個くらいじゃないかな。15個ぐらいかな。

山本:多い

伸一:でも、すごいシンプルなのもあるので。

山本:はい。

Q1.今日の朝ごはんは、何を召し上がりましたか。

山本:今日は、うちは、だんなさんが、実は喫茶店をやっていて。

伸一・真理子:ええ、いいな

山本:創業40何年だったかな、自家焙煎のコーヒー屋をやっているのです。なので、よくサンドイッチとかを、作って置いておいてくれたりするので、今日は、コーヒーとそのサンドイッチを食べてきました。

伸一:ああ、いいな。朝ごはん環境としては、ベストだな。そうなんですね。

山本:はい、そうなんです。

伸一:この感じで、いろいろ聞かせてください。

Q2.山本さん、何か趣味はありますか。

山本:趣味は、最近は、映画とかばっかり見ているのですけど、あとは、本を読むのが好きなんです。でも、すごい偏っていて、スティーブン・キングが、すごい好きなので、キングばかり読んでいます。

伸一:怖いのが好きとか、ちょっと

山本:キングを読んでいると言うと「怖いのとか、ホラーが好きですか」と言われるのですけど、私の中でキングは、泣く小説です。キングは、怖いだけではなくて、何かどこかに救いがあったり、人間の愛みたいなのが、底辺に流れているところがあって、毎回、必ず人は死ぬのです。人は死ぬし、怖いのだけど、物語が深くて、すごい号泣ポイントがある。

伸一:キングさんも、別に、びっくりさせたり怖がらせようとしているわけではなく、それを通じて、そのことを書いている。

山本:単純に本当に好きで読んでいる。すごい偏っているのですけど、読んだりしています。

伸一:ありがとうございます。

Q3.コロナ期間中、どんな過ごし方をされていますか。

山本:やはり、コロナになってから、取材に伺うということが、できなくなって、瀬戸内の島に、私たちは、伺うことが多かったのですけど、島というと、同じような感じがするのですけど、やはり島によって、全然違って、だから、大きな病院がある島もあるし、診療所がある島もあるし、だけど、診療所も無い島もあって、なので、やはり「私たちが伺うことが、ちょっと迷惑になるな」というのもあったので、取材とかは控えていて、ほとんど出て行かない感じで、なので、「せとうちスタイル」も年4回出していたのですけど、それが年1回になったりもして、なので、あまり出るということがなくなって、本当に中に居ることが、多くなっちゃいました。だから、「せとうちスタイル」についても、いろいろ考えたり、瀬戸内の島の、なかなか会えなくなった皆さんのこととかを、考えたりする時間が増えたので、そういうのは、良かったかなという感じです。

伸一:僕たちも、おじいちゃん、おばあちゃんたちよりは、島から出ることが多かったり、お客さんを迎えるのも、けっこう迷いながら、やったりとかしているから、確かに、島の雰囲気とかも、違うだろうし。ありがとうございます。

Q4.初めて書いた記事は、どんなものでしたか。

山本:私は、今「せとうちスタイル」の編集長をやっているのですけど、コピーライターも実は、やっていて、始まりがコピーライターなのです。だから、初めて書いた記事は何だったか、もう昔のことなので。でも島のことを、こんなふうに書き出した始めは、男木島のお話です。瀬戸芸が始まる前に、いろいろ仲間たちと、島について、歩いたりとか、しだして、私の島歩きのデビューが男木島で、今の男木島と、また違う男木島な感じだったのです。

伸一:そうとう前ですよね。

山本:瀬戸芸の前なんです。瀬戸芸前から皆で歩いたりして。私が、なんで男木島かというと、実は、いろんな島に行くという人もいるのですけど、私には、4人くらいの仲間で、定点観測をしていたというか、男木島に通って、定点観測していたので、定点観測って、言い方があれなんですけど、本当に会いに行っていたというか。だから、それで、実は、島のこととかが、すごい、好きになっちゃったから、今こんなふうにライフワークみたいに、仕事になっちゃっているのですけど、なので、初めて書いたのは、男木島のその時は、昔牧場があった。
それを探すというのを、やったのです。4人で話をしながら、道無き道を行って、「この辺だったよ」というのを聞いて行ってというのを、記事にしました。

伸一:なるほど。当時も違っただろうしね。

真理子:そうだね。

伸一:ありがとうございます。面白い。ちょっと思ったのは、記者さんとかからきたのではなくて、もっとクリエイティブ要素とか、広告とか、そういうところから、いらしているのですね。編集長。

山本:そうですね。だから、今もコピーの、広告の仕事もしているし、ライターとコピーライターと、両方をしている感じです。だから、ちょっと自分的にも面白いかなというか。

伸一:なるほど。ありがとうございます。

Q5.「瀬戸内海との出会いは、いつ、どんなものでしたか」という質問を、次に準備していたのですけど、男木島になるのですか。

山本:そうですね。後で思ったら、私、母のほうの実家が、広島県の島で、お墓参りだけ島に行っていたのです。だけど、その時は子供だったし、そんなに大人になってからも、お墓参りという意味のほうが、大きかったのか、あまり意識していなかったのですけど、「ああ、そういえば、瀬戸内海、近かったな」という、今思えば。でも、こんなに瀬戸内のことをし出したのは、男木島の皆さんとの出会いが、お母さんたちとの出会いが大きいです。

伸一:男木島のお母さんたちというのは、なんですか。おばあちゃんたちというか。

山本:そうですね。年齢で言うと、おばあちゃんたち。どうして男木島のことを好きになったかといったら、初め行き出した頃は、本当に食べるところも少なくて、それも確認して行かなければ、食べられないというか「開いていないかも」みたいな。船が着いても、本当に人に会わないことが、多かったのです、当時まだ。

それで、私たちが2時間くらい、いろんなところ、島を散策して歩いて、帰ってきたときに、1人のお母さんが、糸で釣りをしていたのです。波止場のあたりで。位置はなんとなくぼんやり、記憶があるのですけど。そしたら、そのお母さんを見たら、私たち、誰にも会わないで2時間歩いているから、人恋しくなって「お母さん」という感じで行ったら、そのお母さんが、すごい普通に「釣りする?」と、私たちに糸を。そのお母さんが言っていたのは「猫のご飯にする」とか言って、魚の。その情景が、お母さんと仲間が3人糸を垂らして釣っている、その情景を私は上の方から見ていたのです。後ろ姿4人の。なんかもう、すごい素敵で、空と海と、そして、糸で釣りをする姿。「世界に私たちだけしか、いないかも」みたいな。本当に、そんな感じです。それがもう、本当にあったから、今もこういうことを、島のことを書いているという感じです。

伸一: setouchistyle.jpの「せとうちスタイルとは」というところが、トップページにあるでしょう。あれの冒頭が「瀬戸内の島々を旅していると、ときどき。この風景に会うために、今日、船に乗ったんだと思うことがあります。この人たちに出会うために、この島に来たのだと思うこともあります。」というものですけれども、これを見ると、今のお話を聞くと、原点なんだなと、

山本:原点は、男木島のその風景なのです。

伸一:糸を渡してくれるおばあちゃん。なるほど。ありがとうございます。

Q6.瀬戸内海の島、いくつ行ったことがありますか。

山本:瀬戸内海の島、いくつ行ったかですか。実は、その質問って、すごいされるのです。いろんなところで。実は私は、島にいっぱい行くことを、私の中の目的にしていなくて、だから、わりと同じ島に何度も通って、結局その島にいる、自分にとって大切な人に会いにいくということが、目的になっているので、数で言うと、本当に少ないと思うのです。まだ数えたことはないのですけど。だから、たぶん、何百とある島の中の、本当に数える程しか、きっと行っていないと思うのです。

伸一:定点観測型と。

山本:はい。

伸一:そういう、観測というか、続けていくことで、分かることが

山本:そうですね。結局、そこに大事な人たちが増えてくるのです。伺って、話を聞いたりとかすると、初めは島に行くことが目的で行くのですけど、結局そこにいる人たちが、どんどん大切な人が増えていくので、今度は「島に行こう」だったのが「あ、何々さんに会いに行こう」となって、通っていくから、その人に会いに行くので、同じ島に行く感じです。そうすると自然と、特に思うのは、男木島とかは、瀬戸芸が始まる前に行っていて、1回目の瀬戸芸があって、また瀬戸芸がいろいろ続いていますけど、その変化をちょっとだけ自分の中で、いろいろ見ていたり、ちょっと感じていたりするところがあるので、同じ記事を書くのも、もしかしたら、ちょっと違う目線で書けるかなというところが、あったりします。

伸一:そうですよね。

真理子:私たちは、引っ越してきてからの男木島しか知らないので、昔の様子とか、全然想像ができないけど。

伸一:そうですね。なんか話には聞くけど、若い人、学校が再開する前の話と、さらにもっと前の話も聞くけど、そこらへんは、島の雰囲気みたいなものが、想像できないところがあるかな。

山本:ああ、そうですね。でもきっと、私とかよりももっと前に、島に通われている方が、いっぱいいらっしゃると思うので、そういう人たちのお話も聞けると、面白いですよね、きっと。面白いというか、また新しい発見というか、あるような気がします。

Q7.日本にとって、瀬戸内海、瀬戸内の島々は、どういうものだと思いますか。

山本:日本にとって。私が、そんなに日本全国を旅したことがないので、比較とかは、できないのですけど、瀬戸内の島々、「瀬戸内が良いな」と、個人的に思うのは、やはり瀬戸内海は昔から、モノや人、いろんな人が行き来している、今で言う、高速道路みたいなものだったと思うのです。だから、瀬戸内の島、しまなみ海道沿いとか行ってたり、いろいろな所に行くと、島の表情が違ったりするのですけど、それは、みかんの島とか、砕石、石を採る島、オリーブ、漁業の島、そういう島の表情は、結局はそこで暮らしている人の生業というか、生きていくためのモノでできている風景のような気がしていて、それは、結局人が暮らしている、人が行き来していた瀬戸内海だからこその、島の表情なのかなと思って、やはりそれは、人が暮らしている島、瀬戸内海ならではなのかなと思ったりします。

伸一:なるほどね。交易路とか、そもそも京都から、南の方に、西の方へ行く所で、シルクロードっぽく、文化が続いている場所みたいな。近いから役割分担もするし。そうやって、だんだんできてきた。ありがとうございます。

Q8.「せとうちスタイル」は、どんな雑誌ですか。

山本:17年の4月に創刊したのです。一応、瀬戸内に暮らしていると、海とか島がすごく身近で、家のちょっと港にも近いので、高松港にも近いので、時々船の汽笛というのか、音とかも聞こえたり、ちょっと行くと、島とか、ポコポコ見えたりする。仕事とかで、例えば、小豆島に打ち合わせとかいうときでも、船に乗って行ったりするのですけど、船は移動手段なのですけど、見えるのが、島とあれだから、ちょっと船旅気分みたいな。そういうのを、「私たちは、もしかしてすごい幸せなんじゃないかな」と思って、そういう環境で暮らしていることが。そういう瀬戸内に暮らす幸せというのを、1つのスタイルにして、いろんな人に届けられないかなと思ったのが、きっかけなのです。だからよく「北欧スタイル」とかあったりするのですけど、その「せとうちスタイル」みたいなことを、届けられないかなと思って作りました。

伸一:スタイルということだから、用意したのは、つまりライフスタイルみたいなことなのですかというけど、それと、やはりさっきのトップページの続きのところに、景色のことと、何十年も変わることなく、2人で船に乗り、ご夫婦とか、農家の人たちのことだとか「引っ越してきた人たちの暮らしがあるよ、受け入れてくれるよ」というようなことが、書いてあるのですけど、そこにある人たちのライフ、総称して「せとうちスタイル」という

山本:そうですね。そこに、暮らしていたりとかすることは、幸せかなと思って。結局は、本当に、幸せって、基準は人それぞれ違うのですけど、瀬戸内に暮らしていると、そういうものを見つけられるのではないかなと思って、それぞれの尺度の幸せみたいなものが。

伸一:なるほど。いいね。どう受けるということだものね、雑誌が。ありがとうございます。

Q9.雑誌のほうは、どういう読者に、届けているものですか。

山本:一応本当に、全国の人々にお届けできたらと思うのですけど、実際に、見てくださっている方は、瀬戸内が側に無い方が多いような気がします。

伸一:そうなんだ。

山本:はい。瀬戸内の風景、わりとだから、雑誌の中で、瀬戸内の写真とかをけっこう使っているのですけれど、それは、やはり風景でないと伝えられないというか、風景を見てもらうだけで、瀬戸内の良いところは、絶対に分かるし、暮らしている人たちの笑顔とかも伝えられるから、なので、たぶん、瀬戸内が近くにあると、瀬戸内というか、海とか島が近くにあることが普通だと、日常、当たり前の風景になっちゃっていて、なかなか、よく島のお母さんが「どこがいいん」と言ったりするけど「いや、もう、これが良いのです」というか、住んでいるからゆえに、日常の風景になっちゃっているところがあるのかなという気もするのですけど。

なので、瀬戸内の風景が、あまり、いつも側にいない人たちに、「せとうちスタイル」を置いておいてくれたら、いつもお家の中が、瀬戸内になるというか、そんな本になったらいいなとは、思っています。

伸一:そういえば、ちょっと違うかもしれないのですけど、東京世田谷の、僕の実家の駅前に、瀬戸内製パンという、もうなくなっちゃったのですけど。この間もう変わっていたのですが「瀬戸内ブランドみたいなことが、あるんだな」とその時に思って、僕もぼんやりイメージはあったのですけど、「せとうちスタイル」が作ったものですか、この

山本:とんでもないです。違います。

伸一:東京の世田谷区の、小田急線の駅を降りる人たちに、瀬戸内というのが、イメージを与えるものとして、使われているというか、そう思われているということなのだから、瀬戸内感というのが、さっきの面白いなと思って。瀬戸内感。言ったら、広いじゃないですか。せとうちなんて、どういう意味というのがあるのだけど、でもやはりスタイルみたいなものとか、瀬戸内と聞いた時に、人が思い浮かべる何かというのは、あるのだなというふうに

山本:そうですよね。たぶんあるのだと思います。それぞれ。

伸一:その中には、やはり表紙のきれいな写真とか、やはりスタイルというのがあるのだということが、ちょっとずつ、読んだ人の中に残っていて、そういうものが、入っていると思うんだよね。

山本:だといいな。

伸一:すごい。ではそろそろ、私たちが何を書こうかなという

Q10.今回の号は、いつ販売ですか。

山本:次は、来年の4月に発売する予定です。

Q11.そのテーマは何ですか。

山本:今回テーマをいろいろ考えたときに、ちょっとコロナもあって、瀬戸内という場所を生きる場所というか、自分たちの居場所だと考え、1つの選択肢として考える方々が、もしかして増えているのではないかと思ったのです。そのときに、たぶん移住というか、私移住という言葉が、実は正直言うと、なんとなくしっくりこない感じがするのですけど、移り住むというか、引っ越しとはまたちょっと違う感じ、覚悟が要ることなのだと思うのですけど、そのときに、一番気になるのは、家と仕事がないと、やはり夢とか思いだけでは、そこでは生きていけないので「せとうちスタイル」で「では何ができるか」と思ったときに、ちょっと空き家を、例えば、いろいろご紹介されている方とか、仕事ということを、紹介できないかなと思って

ただ、情報とかだけだったら、私たちより知っている行政の人とか、いっぱいいらっしゃると思うので、空き家に関しては、尾道に「空き家プロジェクト」さんという、本当にすごい長く、いろいろなことをされている、町おこしも含めてされている方がいるので、その方々を紹介することになって、仕事という面では、ここは、いろいろ考えたのですけど、リモートのお仕事を持って移住される方は、それでお仕事ができるのですけど。例えば自営、カフェをしようとか、農業・漁業をしようとか、考えていらっしゃる方たちは、やはり、わりと生きていく力がある人かなと思って、ちょっと変な言い方ですけど。

伸一:分かりますね。僕らは、リモートワーク前提なので、そもそも、東京からバンコクに引っ越して、そこから、男木島に来ているから、土地と仕事というのが、切り離されているのです。ところが、ここに住んで何かをする、根づき方の、根の深さが違うとは思います。

山本:わりと今まで、「せとうちスタイル」、そういう皆さんの物語をご紹介してきたのですけど、でもそうではないというと変なのだけど、瀬戸内に住みたいと思ったときに、やはり安定するって、大事かなと思ったのです。瀬戸内に、その場所に長く住んでもらうのは、やはり安定することも、大事だと思って、できればご夫婦で、できれば、家族で移住できるという方法が、やはりそこに長く暮らすための、1人で来るよりは、大事なのではないかなと思って「島に移住するのだけど、会社員という選択もありますよ」と、今回ご紹介しようかと思っています。

なので、1つは、尾道の飲食店グループの方、そこも移住の方を、すごく受け入れていらして、そこから1人立ちして、いろんなお店をされている方が、多いところがあるのですけど、あと、小豆島のオリーブの会社を紹介しようと思っていて、そこはいろんな働き方が、農業だけではない働き方ができたりするので、そういう、私の中の思いとしては、家族で本当に来てもらって、そこに長く暮らせる形として「会社員というのも、1つの選択肢ですね」というのを、ご紹介できたらなと思って、考えています。

なので、家と仕事ということが、特集では紹介するのですけど、今回どうして、西川さんご夫妻にお願いしたいかなと思ったかというと、男木に来られたというのと、そこで、どうお家、自分たちでとか、あとは、お仕事の方法もそれはやはり、ちゃんとベースとしてあったというのも、大きいかなと思ったり、もう1個思ったのは、やはり教育ということも、ものすごい大事かなというのもあって、お子さんたちのこととか、学校再開されてから、実際どんなふうに子供さんたちとかいう、そういうことも、教えてもらいたいなとか、どう考えていらっしゃるのかなとか。今後ですけど、今後とか。これからたぶんお子さんたちは、きっと大きくなっていく。だから、自分がどの世代かでも、全然変わってくるなと思って、そういうのを、島からいろんなことを発信されたりもしている、そういうことも含めて、お話を伺いたいなと思ったのです。

伸一:分かりました。今の、今後についてとか、家族としてどう考えているのかというのは、わりと今、本当にテーマなのと、自分たちが、どういう経緯でこういう生き方をするようになって、次について、今どう考えているかということを、そのまま書くのがいいのかなというふうに、その切り口で書くのがいいのかなと思いました。

山本:はい。ぜひぜひ。

伸一:生きる場所としての瀬戸内という、最初のほうでおっしゃった、そういう僕らはどういうふうに生きていますよという。たぶん、考えていることベースというか、あるのではないかというところなのです。

真理子:「こう思ってきて、こんな感じで、今子供たちが大きくなるにつれ、そういうふうにしていこうかなと思っています」みたいな

伸一:そうだね。その中で、男木島のこういうところが、面白いみたいな。自分たちの暮らしに与えてきた影響みたいなことについて書く。書くというよりは、そっちのほうがいいのだろうなというふうに、思いました。

少し広い話なのですけど、コロナのことがあって、リモートワークが広がって、東京とか大阪とか、大都市でない所で働くという選択肢について、考える人たちが増えてきているような感じはするのですけど、読者の人たちの中にも、そういう、いわゆる都市ではない暮らしというのを、テーマにしていると思うのですけど「皆の関心が向いてきているな」とか「最近ちょっと増えているかな」というか、そういうのって、ありますか。

山本:編集部に直接瀬戸内のことというか、観光というか、観光って変ですけど「瀬戸内の魅力について聞きたい」という問い合わせは、実は、東京とかから多くて、でもそこはわりと、例えば何かに出て「ちょっと瀬戸内の話をしてくれませんか」というのは、ちょっとだけ増えてはいて、読者の方からは、直接というのは、やはりなくて、ただ、Facebookとか、インスタだったりするのは、わりと見てくださっている方が、増えている。だから、年1回になっちゃったので、そんなに頻度としては、やはりアップできない、島にももちろん行けていないので、頻度で言うと、本当に少なくなっちゃっているのですけど、見てくださったり、フォローしてくださる方は、増えているというところは、あります。

伸一:なるほどね。この感じは、続いていくかなとは、思っているのです。コロナのことだけではなくて1回そのことに、在宅で働くことになった人たちは「あれ?」という「もしかしたら、玄関を開けたときの、外の景色が選べるじゃん」という、あれには1回なったので、そういうふうに続いていく、都市から田舎へとか、もうちょっと場所を選ぶみたいなことが、当たり前になるふうに、動いていくかなと思ってはいるのです。他の人たちが、実際にどう思っているのか、ちょっと分からないので。

山本:そうですね。だけども、本当に受け入れる側というと、行政とか、そういうのになっちゃうので、私とかは、直接は分からないのですけど「島へ」というのは、やはり今、簡単に私が「はいはい、じゃあ、島へ」というのは、絶対に言えなくて、なぜなら私は住んでいない。島にも住んでいないし、だから簡単に本当に言えないし、絶対言えないと、いつも思っているのです。

だけど、島に移住された方、いろいろ本当に、いろいろな形のスタイルの方を取材していると、そこでやはり「自分たちの居場所を見つけた」という方が、すごく多いのは、多いです。必要とされているというふうに、感じられたり、自分たちのできることと、できないことをちゃんと、そこで考えるという、そうすると、すごい暮らしやすいというか、やはり、島に行ったら、一番自分が若くなったりするから、いろいろ島の、結局、要は、忙しくなるのです。「島だから、のんびり暮らそう」という生活では、ないじゃないですか、本当のところ。なんかもう、頼りにされるから。それは嬉しいことだけど、だけど、「できることと、できないことをちゃんと考えたりする」というのは、移住の方は、よくおっしゃいます。

伸一:なるほど。それは、もともとは、必要とされているかどうかが、よく分からないような暮らし方を、なんとなく感じていたり、振り返ったらそうだったのかなという方だったり、自分が何をやるのかとか、コミュニティ、地域の中で、どういう関わり合いというか、役割を持って、どういう環境を周りに築くのかということを、やっていない「今から振り返ると、やっていなかったな」と思うようなところの人たちが、今、もしかしたら、Facebookとか、Instagramでちょっとずつフォローが増えたりしているのかなとか。そのスタイルの中で。

だから、瀬戸内というスタイルを、求めるというよりは、生き方を模索したり、見つけたりとか、別になんか、修行の旅のような顔をして、移ってくるわけではないのだけれども、探しているというか、そこは、何をやっている人たちなのかなという点に聞こえたので、そこに答えるように書けばいい、書くようにしたいと思います。「あなた、どうやって生きているのですか」みたいなことを、聞かれたということなのかな。

山本:でもたぶん、移住されて、また別な所に、元の所に帰られている方も、いっぱいいると思うのですけれど、それはまた、それぞれの人生とか、生き方だから、人、本当に増えているかどうかは、肌感覚でしか分からなくて、申し訳ない、ちゃんと言えなくて申し訳ない感じです。

伸一:いえいえ。すごい深いところで流れている潮流だと思うので、急に統計でポンと「東京からみえる人、増えました」みたいな、そういうことではない、もっと何かあるのかなという。

山本:1つの選択肢として、瀬戸内というものを考えてもらえたら、瀬戸内に暮らす一員としては、嬉しいなと思います。やはり、それぞれの県、瀬戸内は、広島とか、香川とか、7県にまたがっているので、それもまた、そこの、それぞれ個性というかが、あると思うので、どこに初めに行くかで、また瀬戸内の印象も変わるかなと思うので。

伸一:確かにそうだね。

真理子:全然違うものね、島によって。

伸一:隣の島でも、全然違うものね。

真理子:違う。

山本:そうですよね。香川の近い島でも、全然違いますものね。それぞれすごい個性が、表情がちがいますよね。

伸一:では、今日の質問はこのくらいにしようかなと思います。ありがとうございました。
真理子:ありがとうございました。

令和2年度男木小中学校入学式 PTA会長祝辞

本日の入学式にあたり、PTAを代表いたしまして、お祝いの言葉を述べさせていただきます。

本日はご入学、おめでとうございます。

感染症、新型コロナウイルス、COVID-19がパンデミックを起こし、世界中の国々、町、学校、家族が動けなくなってしまっている世界の状況で、本日、こうして集まって、お二人の入学を記録する儀式を挙げることができることもまた、喜びたいと思います。なんだかんだ、ないと寂しいものですね。

さて、東京では昨日、安倍首相が東京、大阪、福岡などの大きな都市で緊急事態宣言を出しました。日本の政府が前回、自らの意思でこのような宣言を発したのは、今から79年前の戦争を始めるときでした。これが何なのかを簡単にいうと、「マジでヤバイから本気出します。なのでみんなしっかりついてきてよ」宣言です。

3週間前の卒業式、私はこの場所で、今日と同じように、3つのお話をしました。ひとつ、みなさんの寿命は、病気や事故なくいけば、100歳くらいであること。ふたつめ、みなさんが生きる未来は信じられない形で変わり続け、予測ができないこと。みっつめは、変わり続ける世界で楽しく生きる秘訣は、私たち自身が変わり続けることだということです。今日は、もう少し深く、どうすれば変化できる人間になれるのかと、最近私が考えたことをお伝えします。

私たちが今生きているこの世界は、ほんの3週間前とは違う世界です。去年の春と比べると、想像もできない世界になってしまいました。

日本中の春休みが、夏休みみたいな長さになるなんて、そんなことがあり得ると考えたことはありましたか?オリンピックが中止になるなんて、想像もしませんでしたよね。会社に行っていたたくさんの大人が、家のリビングから仕事をするように変わるなんて。。。

今からちょっとタイムマシーンに乗って、去年の自分に会いに行くことを想像してみてください。「やあキミ、ボクは一年後の未来から来たキミだよ。あのね、感染症が大変なんだ。世界中の病院で毎日人が死んでしまって、人類は普段の生活をやめてみんな家で大人しくしてる。日本でも春休みが夏休みの長さになって、オリンピックは延期だよ。それから、志村けんさんが死んでしまった。みんな悲しんでいて、怖くて、テレビはそのことばかり話しているんだ」

去年の僕たちが、こんなことを言われたら、信じられたでしょうか?アハハハ、そんなSFみたいなこと。。。と反応したでしょう。多分。こんなことを「本当に」信じて受け入れることは、無理でした。

未来はわからないんだ、予測できないんだ、僕はもう何年も、そんなことを考えながら生きてきました。それでも、まさかこんなことになるなんて思いもしませんでした。こんな変わり方をするなんて想像できなかった。そして、私たち自身が、こんな風に社会の動かし方を変えることができるなんて、想像できていませんでした。

でも今はできる。想像力。これが、未来を生きるためのヒントなのだと気が付きました。

この感染症による非常事態は、いつかは必ず終わります。1年か2年すると、病気を治す薬や病気にかかりにくくするワクチンが出てきます。インフルエンザやエイズのように人間が緊急事態っぽくない形でコントロールできる世界になり、学校は始まり、オリンピックは開かれ、人々はまた外を自由に歩き回り、握手やハグをして、オフィスで打ち合わせをして、カフェでお茶をして、レストランで食事をし、旅行をするようになります。

でも、その新しい世界は、こないだまでの世界とはだいぶ違っています。人類は変わってしまったのです。人は、もっと柔軟で、自由になります。自分たちは人類として危機が迫ったときにはオリンピックや学校や仕事や電車やお店を止めてしまえる生き物なんだということに世界中が気がついたのです。「コロナで大変だったときはあんなことやこんなこともできたんだから、今だって何かできるよ。できない理由はないじゃないか」という考えが、みんなの頭の中に生まれ、無くなることはないのです。コロナのことを考えなくて済んだ世界のことは懐かしく感じられることでしょう。環境問題は人間をコロナウィルスよりも多く殺してしまっています。でも、対策することは無理なんだとみんな思っていた。これも、できると感じる人が増えたはずです。みなさんも、学校が休みになってみて「あれ?学校ってなんだろう。宿題ってなんだろう。日本中の子どもが学校に毎日集まるこの感じって、何なんだろう?」って、ちょっと考えてみた人もいるんじゃないでしょうか。この世の中に、決まっていることなんて、ないんです。私は男木島に来るフェリーを止めたり便数を減らすことを提案しようかなと思っています。

今から700年くらい前のことですが、ペストという感染症で、人間の3人に1人が死んでしまったことがあります。本当に怖かったことだと思います。この感染症を通して、人類に起こったことをいくつか紹介します。

100年間ずっと続けていた戦争をおしまいにしました。たくさんいた奴隷たちが解放されました。神様について、考え方が変わりました。芸術が大盛りあがりしました。ルネサンスと言いますが、その意味は、「もう一度生まれる」という言葉です。これから、そういうことが、もう一度起こることになります。

今、私達にできることは、新しく生まれ変わるその未来に備えて、まずは生き残ることです。外に出かけるときには、マスクをしましょう。人が集まってワイワイやっているところには行かないようにして、薬やワクチンができるまで、できるだけ病気にかからないでいましょう。人に、病気を移さないようにしよう。そのうえで、少しずつ、想像力がパワーアップした未来を楽しみにしながら、自由になった世界で自分たちに何ができるのかを想像してみましょう。

男木小中学校は、先生も保護者も地域もだいぶワイルドで、変化を楽しめる学校だと思います。何かいいことを思いついたら言ってみましょう。校長先生もいつも言っていますが、やってみなくちゃわからないのです。変だと思われちゃうかなと心配してしまうことでも、やってみましょう。無理かもしれないと、昔なら思っていただろうことを、やっちゃいましょう。それが、自分も変わり続け、社会も変え続けて生きるということなのだと思います。あと半年や一年、2年はこんな感じで大変な状況が続きます。せっかくですから、いろんなことを想像して、やってみて、変わり続ける自分の練習してみましょう。

今日は入学式という人生の節目ですから、未来の話をしてみました。あらためまして、おめでとうございます。これで挨拶を終わります。

令和2年4月8日
高松市立男木小中学校PTA会長
西川伸一

令和元年度、男木小中学校卒業式のPTA会長 祝辞

昨年のものはこちらにあります。今年も、PTA会長として挨拶をしてきました。子どもたちの大事な日に、何かを伝えられるかもしれないというのは貴重な機会でした。そんな聴衆、なかなかいないですよね。

というわけで、以下が祝辞の全文です。


祝辞

本日の卒業式にあたり、PTAを代表いたしまして、お祝いの言葉を述べさせていただきます。

本日はご卒業おめでとうございます。
ご来賓のみなさま、地域のみなさま、本日はお忙しい中、ご臨席を賜りましてどうもありがとうございます。

校長先生をはじめ、諸先生方には日頃から、子どもたちを優しく、厳しくご指導いただき、本当にありがとうございます。

(卒業生のお名前)、ご卒業おめでとうございます。いろいろ考えて来ましたので、大人の一意見として、聞いてみてください。

昨年の卒業式でも、今日と同じように、私はここで挨拶をしました。その時は、みなさんの寿命は何歳なのかという話をしました。

はい、そうです。みなさんは病気、事故なく生きていけば、100歳まで生きることになります。22世紀を、大変元気に迎えることになります。そんな未来の話もしました。そして、未来の世界の様子は分からない、ということも言いました。

もうすぐ実現する自動運転、月に秘密基地、人間の形をしたロボットのサッカーチームが人間に勝つ、3Dプリンタで家や町を作る、火星に人間が住み始める、、、そんな世界がどうやらやってきそうだということです。

日本や世界はどうでしょう?

日本は、高齢者が増えて、子どもたちの数が減っていて、人間の数がどんどん減っていきます。政治や経済のことを考える人たちは、人口が減っていくことをとても心配しています。人が減ると、働く人もものをやサービスを買う人も減るので、経済が小さくなっていくという心配です。

世界では、国と国の境目がなくなり続け、これまではバラバラに暮らしていた人たちの、異なる文化、異なる言語、異なる宗教や考え方が、どんどんどんどん混じり合っていきます。これは、歴史上初めてのことなので、何がどうなることやら分かりません。

そうした未来の世界を迎えるにあたって、私たちが知っていることはとても少ないです。ただ、確実にわかっていることが一つあります。それは、「私たちには未来の技術や社会や人間のことは、分からない」ということです。分からないんだ、ということだけが分かっています。この分からなさのことを、不確実性と言います。

そんな不確実な世界を迎えるにあたって、私たちはどう生きればよいのでしょうか?

私は、変化を楽しむということだと思います。変わることは面倒くさいですし、時間も体力も使います。お金もかかることでしょう。でも、新しいことができるようになったり、新しい考え方ができるようになるということは、面白いことでもあります。これから85年間の間、5年毎に大きな変化を体験すると考えると、みなさんは人生で17回の大変化を仕事や家族や生活で起こしていくことになります。恐れずに、やっていきましょう。

どうすれば怖がらなくて済むのか。どうすれば、変化を楽しめるのでしょうか?私が、東京で働いていた頃、もう10年以上前ですが、島根県の隠岐郡というところにある海士町という島で暮らす友達がこう聞きました。「西川くん、最低限生きていくのに必要なお金ってどのくらいだと思う?」僕は、子どもたちの教育費のこと、保険のこと、東京の家賃のこと、携帯料金やら色々のことを考えて「毎月20万円、いや、毎月15万円あれば、家族で暮らせると思う」と答えました。すると僕の友達は「いやいや、5万円をタンスの中にしまっておいて、それを僕たちの島までの交通費と考えれば、それだけでいいよ。島に来れば食べるものや仕事や寝泊まりする場所はあるから」と言いました。

生きるということは、何も家賃12万円のアパートに家族で住みながら、携帯の料金を5人分払って、受験をして、時々映画を見たり本を買ったり外食をしたり、ということだけではないということを教わりました。それは、この2010年のころの、東京に住んでいた25歳位の僕にとっての生きることの定義だったのかもしれません。そんなこんながあって、私は家族でバンコクへ引っ越し、イギリスの会社で働きながら、男木島で暮らすということになっています。不思議なものです。

これから85年のことなんか、やっぱり誰にもわからないということだけが分かっています。そして変わり続ける、不確実な世界で楽しく生きる秘訣は、私たち自身が変わり続け、不確実であり続けることです。でも、結局はそれが一番楽です。世界やルールが変わっている中で、自分が同じままだったら大変なんです。

変化を受け入れるということは、変化を受け入れて自分も変わっていくということです。覚悟や工夫が必要かもしれません。でも、それが一番楽で、楽しい方法です。そして、そのときに「タンスに5万円あれば別に死にはしない」そして「なんとなったら帰れる島がある」ということが、支えになってくれると思います。気楽にやれるといいですね。

ところで、変化は、変に化けると書きます。自慢ではありませんが、私も変だ変だと言われます。そしてそれはとてもいいことだと思っています。これからの変化し続ける世界では、最初から変わったところがあるというのは、実はお得なことです。自分の中で、人とは違うことを探していきましょう。ぜひ、「やってみなくちゃ分からない」の精神で。

男木島をいつか出ていき、でも、帰って来られる場所があって、そのことを支えにしながら、広い世界、しかも変わり続ける世界で、のんびりと楽しく暮らしていただければと思います。僕も寿命があと50年くらいあり、変化のタイミングが10回くらいはあると思いますので、一緒に頑張りましょう。

今日は卒業式という人生の節目ですから、未来の話をしてみました。あらためまして、おめでとうございます。これで挨拶を終わります。

令和2年年3月13日
高松市立男木小中学校PTA会長
西川伸一

平成30年度、男木小中学校卒業式のPTA会長 祝辞

私、男木小中学校のPTAの会長をしておりまして、本日卒業式が執り行われまして、そちらで祝辞の挨拶をいたしましたので、記念のために原稿を保存。


本日の卒業式にあたり、PTAを代表いたしまして、お祝いの言葉を述べさせていただきます。

卒業生の皆さん、本日はご卒業おめでとうございます。
保護者のみなさま、お子様のご卒業を心よりお祝い申し上げます。
ご来賓のみなさま、地域のみなさま、本日はお忙しい中、ご臨席を賜りましてどうもありがとうございます。保護者を代表して、心よりお礼申し上げます。
校長先生をはじめ、諸先生方には子どもたちを優しく、厳しくご指導いただき、本当にありがとうございました。

Aさん、Bさん、Cさん、今日まで元気に育ってきてくれて、本当にありがとうございます。私たち男木島の大人たちは、あなたたちが楽しく元気に育ってくれていることに感謝しています。

さて、突然ですが、今日はみなさんの寿命についての話をいたします。みなさん、自分の平均寿命は何才なのか、知っていますか?何才まで生きるのでしょうか。昨年のデータによれば、日本人の平均寿命は男の人が82才くらい、女の人は87才くらいだということです。ここで気をつけないといけないのは、これは、今、日本で生きている日本人全員のことで、今ここに座っている子どもたち、あなたたちが何才まで生きるのかを計算したものではないということです。

さて、では卒業生のみなさんの寿命の正解を申し上げますと、ざっくり言いまして、今子どものみなさんは100才まで生きることになります。人生、100年です。それから、80才になったとき、今の80才とは比べものにならないくらい、元気に暮らしているだろうと言われています。

今の70才、80才のおじいさん、おばあさん、だいぶ元気ですよね?でも、もっと元気だということなんです。だいたい今の60才くらい、つまりみなさんのおじいさん、おばあさんくらいの元気さで、今でも仕事をしたり元気に旅行にでかけたり、山登りをしたりしていると思うのですが、そのくらい元気で80才を迎えます。

どうでしょう。中学校を卒業する15才の二人はあと85年、小学校を卒業する12才のCさんはあと88年生きます。西暦で言って、だいたい2105年ですので、22世紀ですね。ドラえもんが22世紀から来てますので、その世界を生きることになりそうです。

どんな世界なんでしょうか。未来学という未来のことを研究する人たちが、どんなことを言っているのか調べてみました。

あと10年もすると、みなさんは25才くらいですが、車は自動運転になって、座っているだけでよくなるようです。運転免許証を使う機会も、あんまりなさそうですね。20年たつと、月に基地ができて1000人くらいが暮らしています。30年たつと、人間の形をしたロボットが、人間の最強チームに勝って、食器洗いや掃除などはロボットがやるようになります。50年たつと、3Dプリンタで街を作るようになります。火星に人が住み始めるのが100年後、ということで、みなさんもがんばればギリギリ間に合います。宇宙旅行が可能になるのは、大人になってしばらくしたころには確実で、孫が生まれる頃には、ちょっとしたお金持ちならいけるようになっていて、ひ孫が生まれる頃には、今の海外旅行くらいになってるようです。信じられないかもしれませんが、多分本当です。ぼくが皆さんの年齢だった頃には、車を運転する人は紙の地図を見ていましたし、電車の駅の改札口には、切符を受け取る駅員さんが10人くらい立っていました。まさか、携帯電話で話をしたり、インターネットで調べ物をしたり、Google Homeに声で話しかけて歌を流したりすることになるなんて、思ってなかったんです。だから、自動運転の車くらいのことは、まあ起こるだろうなと思います。

さて、だからなんなのだという話です。そういう世界だから、どう生きろというのか、気になりますか?僕もこの10年くらい、そんなことをずっと考えているのですが、残念ながら、ぼくにも答えは分からないのです。これからの日本、世界は、こんな調子でどんどん変わります。そして、そういう世界を生きたことのある人はいないのですから、誰にも答えは分からないのです。みんなが当たり前に100年生きるという世界もまだ来たことがないので、答えは誰にも分からないのです。ですから、楽しくやって生きていくのが大事です。そのために、これから何十年も元気に暮らしていく僕たちとして、何を勉強したらいいのかを考えましょう。どんな遊びをして、どんなことにチャレンジして、生きていけばいいのか、これからの中学校生活、高校生活、それからその後の80年くらいを楽しくがんばっていってください。

今日は卒業式という人生の節目ですから、未来の話をしてみました。あらためまして、おめでとうございます。これで挨拶を終わります。

平成31年3月15日
高松市立男木小中学校PTA会長
西川伸一


お気づきのみなさんもいらっしゃると思いますが、僕が最近読んだ、こちらの本のベースにもろに影響を受けて書きました。

LIFE SHIFT リンダ・グラットン、アンドリュー・スコット著

面倒な人は、漫画版もあります

WordCamp 男木島のポスター

ゆうきが書いたポスター。

佑生が書いたWordCamp男木島のポスター。
父談: 「つぎのWordCampはいつなの?」と聞かれて、東京で9月15日かなぁ、と答えたのに、彼の中では、なぜかもう一度男木島でWordCampをやることになってしまった。

アイキャッチ画像のクレジット: あすかさん(勝沼明日架さん)

ワードキャンプ男木島のじゅんびの日(こうはん)

つづきです。ぜんはんは、

ワードキャンプ男木島のじゅんびの日(ぜんはん)
この日記の続きです。

体育館に帰ったら、ガーランドを作りました。ガーランドは、おって、ひもにテープでくっつけて、運動会のようにつるします。まじまさん、と遊びました。

おって、ひもにつける

そのまたあと、村上さんと大木さんのリハーサルを見ていました。

とうじつ、話をしていた村上さんと大木さん

終わったら、図書館でご飯を食べました。図書館とさくらさんと、まどかさんにわかれて、食べました。そうめんとフルーツポンチがおいしかったです。

さいごに、プレパーティーをしました。チョコやポテトチップスをちょっと食べました。そこでは、女の人の名前を3人ぐらいおぼえました。さよさん、なべなん、おゆきさんです。「おゆきさん」や「おゆきちゃん」とよんでいます。

50人いて、あともう200人くるとたいへんだなと思いました。2時間位たったら、ほとんどの男の人たちがたこたこタクシーにとって高松へいったので、2/3くらい、いなくなりました。

ワードキャンプのお姉さんたちは、優しいなと思いました。

そのあと少しかたづけをしてから図書館で、に物をとって家に帰りました。そしてねました。

アイキャッチ画像のクレジット: あすかさん(勝沼明日架さん)