島に引っ越しをすることになってから、テレビに出る機会が!おもしろいです。
僕らの日々の島の暮らしの様子をおさめてくれたり、そのときどきの心境を聞いてくれるので、記録が残ってありがたいです。YouTubeに残っている公式の動画をまとめつつ、感想などを書いてみたいと思います。
きっかけとなった、男木島図書館の特集
きっかけは、引っ越しを決めた2015年夏の滞在時に、取材に来ていた瀬戸内海放送の増田さんが「ここにも移住検討者が!え?バンコクから?」と思ってくれたことです。よい出会いでした。
その時の映像はこちら。
この特集の取材は、我々西川家にとっての島内水先案内人兼移住先行者である福井一家が、島内の若い人たちや、クラウドファンディングやブログなどでの情報発信によって募ったボランティアの人たちと一緒に、図書館のない島に図書館を自力で作る、という活動を取り上げるためのものでした。引っ越してきた島に文化を増やす、ということで始まったパワフルな動きで、この図書館、及び福井家の存在は僕にとってもそれが欠けていたら移住はしないというインパクトを持っております。
男木島図書館については、何から語ればいいのか分からなさすぎていつになったら書けるのかよく分からないのですが、島にいらしたらぜひとも一度見ていただきたい施設です。
- 男木島図書館のウェブサイト
- 男木島図書館の Wikipedia 記事
- 男木島図書館の Twitter アカウント @ogijimalibrary
- 男木島図書館の Facebook ページ
- 男木島図書館のクラウドファンディング「瀬戸内海の小さな島”男木島”の図書館を本でいっぱいにしたい!」
移住してきた時の西川家特集
バンコクが子連れの一家が引っ越してきましたよという回が同じく瀬戸内海放送さんで流れました。そのタイトルは「”人を引き寄せる島”に家族で移住」。これはなかなかに僕たちの移住を表しているタイトルだと思います。
- 風景と人
- 図書館
- 島に住んでいる若い人たち
- 瀬戸内国際芸術祭の存在とアート作品群
こういった要素がたくさん重なって、「あ、次はここにしよう」と思ったのですが、その他にも魅力だと思っていることがあります。男木島は単なる辺境の孤島ではなく、おもしろい人が暮らし始めたり立ち寄ったり、しばらくの時間を過ごしたりする島です。
アリジゴク
アリジゴクモデルと僕が呼んでいる考え方なのですが、世の中には、そこに暮らしているだけで、力のある人、おもしろい人、丁寧に暮らそうと思っている人に会うことができる場所というものがあります。僕が住んでいたバンコクで毎日通っていたコワーキングスペース Hubba Thailand や、その前に住んでいた東京で出没していたコワーキングスペースの Pax Coworking や下北沢 OSS Cafe もそうです。そして、男木島も島自体がそういう磁力を放つ場所です。
なんでも作る、工夫する力
この動画の中で、
「もし経済がすべて破綻して(家を建てることから魚をさばくこと、作物を作り魚を漁るところことまで自力で)すべてやる人が、(それでものんきに)暮らしていける(世界が来ることになるなんて)ことになったら、男木島の人たち最強じゃないですか」
というコメントが有りましたが、ちょっと調子に乗りすぎいてかなり恥ずかしいですね。。。
とはいえ、この問題意識は本当に持っていて(別に破綻なんかしなくても)、僕は今たまたま需要のある技術を使って仕事ができており、英語やタイ語が使えることで仕事も付き合いも広がりが出て、という環境にあります。そういう状況に運良くあることができているので、バンコクへ行って経験を積んで仕事をして来ることもできました。柔軟性や「どっこい生きてる」度合いはこれまでの7年間でだいぶ上がってきたように思います。
けれども、日本、東京という場所が何十年か経った時に、自分が生き残っていける自信だとか、大きくなった子どもたちが生きて、子育てをして、何らかの意味で豊かに暮らしていけるという実感はありません。そういう危機感のことなんです。それがついつい図に乗ってしまい、短い言葉になったら上記の恥ずかしい発言になってしまったのでありました。
男木島で生活することを選ぶというのは、若干大上段に構えるとそういう背景をもつ選択でした 。もちろん、外国語やプログラミング、web についての知識という専門性を使ってお金を稼ぐことは僕の将来にわたっての基盤です。が、そうしたことがなくなっても、死なない、というのは大事だな、と。
バンコク:「なかなか死なないモデル」「どっこい生きてるモデル」から「どこでも生きれるモデル」への移行
何年か前、仕事をしていた会社の仕事が激減したことがありました。妻は一人目の子供を妊娠中で、僕はデザインを専門とする会社で、営業のような、ディレクション、予算とスケジュールの管理屋さんのような仕事をしていたのですが、僕の仕事はなくなりつつも、デザイナー、コーダー、プログラマーの人たちの仕事はなくならないという事実に突き当たりました。その現実に触れて、を前にして「半年間収入なくなるけどよろしくお願いします」と妻や両親に伝えて、毎日近所の2つのファミレスをはしごしながら今の技術に繋がる勉強を始め、今の生活へとつながっていきました。その時のモットーが
- なかなか死なないモデル
(あるいは) - どっこい生きてるモデル
でした。
つまり、その時の就職先、仕事のいただき方に依存しないでも収入を得ることができる状態を実現しよう、ということでした。どこかで仕事を失っても、別のどこかで生き延びることができる、その力を得たいと思っていました。
何年かして、今お客さんが一人もいなくなっても、最悪子どもたちを養っていけるだけの収入をもらえる会社が雇ってはくれるだろう、というメドがたった時に、バンコクへ旅行をして、おもしろコワーキングスペースをみつけて、半年後に引っ越しをしたのでありました。
その頃のモットーは、あまりちゃんとした言葉にはなっていないものの、
- どこでも生きれるモデル
- 場所に依存しないモデル
とでも言えるものだったと思います。そうして、家族サバイバルがギリギリできそうだな、と思い始めた頃に、次の場所を探し始め、パッと出てきたのが男木島だったわけです。
男木島ステージ
家を直す、庭を綺麗にする、友達や旅人が立ち寄って仕事をしながらのんびりできるスペースを作る、魚をさばく、野菜を作る、そして仕事をする。そういう場所を持ちたいと思っています。また、生活にかかるお金が圧倒的に少なくなった状況を活かして、世界各国を訪れながら子どもたちの知見を広めていく時期にしたいと思っています。
ここに何年暮らすのか。少なくとも5年、長くて9年くらいでしょうか。これまで、どこに住むのかという決断は僕と妻とでしてきておりましたが、これからは小学校に上がった長女と年中の長男とも話し合いつつ、設計と偶然を楽しみつつ人生を工作していければと思っています。
夏編!(いつのまにか四季シリーズになってる!
移住者たちの夏2016。。。
なんか、、、かっこいい名前になってる!
とりあえずこれを貼っておこう。。。
あとこれも。
さて、この回では、「瀬戸芸 & 島の大祭 移住者たちの夏」ということで、先日もちょこっとだけ書いた男木島の大祭りと、僕らが遊んでいる様子をうつしていただきました。
僕の感想としては、、、
- 新たな移住者!山口さん一家、ようこそ男木島へ!引っ越しをすごく手伝っているように見えますが、10分しか手伝ってなくてごめんなさいw
- さらに新たな移住者、ダモンテ夫妻、あらためましてようこそ男木島へ!(ダモンテ夫妻が僕らに与えた衝撃についてはこちらのポッドキャストもどうぞ)
- 小学校にアーティストのお子さんがニューヨークから来ていたということですが、その頃はちょうど僕がニューヨークにいて会えなかった。。。
- Philadelphia、New York への長めの出張帰りの一番太っている時に海の撮影があって悔しかった。海外や東京に出掛けても太らない自制心がほしい
- ひなちゃん、いつもありがとう!
- お祭り、楽しかった!
- お祭りのシーンの娘が頑張って太鼓叩いているところは要注目!
- お祭り中、働けなかったと言ってましたが、ちゃんと働いてました(←)
- 頭取、チーフとしてというところ、ほんとは4人でやったんです。僕だけじゃないです笑
うちにホームステイしていたマレーシア人のアーティスト Weizen さんのウェブサイトはこちらです。
今後の秋編、冬編もあるのかな。楽しみです!
他にも出ていた!
引っ越しをしてきてから、ワールドビジネスサテライト(多分これ。有料会員登録すると見られる)、地元のラジオ番組などにも出していただきました。注目してもらえるのも最初のうちだと思いますが、こんなおもしろいことになるとは思っておらず、大変恐縮です。
その他のメディア出演備忘録
- 瀬戸内海放送で、淳にいが底引き網漁のさなかに引き上げた壺が、実は1300年位前の須恵器の横瓶と呼ばれるものだった件
- 瀬戸内海放送で、淳にいが3年前に引き上げていたまた別の壺が、実は150年から300年位前のお酒の保存用の壺だった件
- 西日本放送ラジオで、男木島で畑をしているJeanさんが担当しているコーナーに出演して何しに引っ越してきたのかを聞いてもらった件
今後のメディア出演予定
- 西日本放送ラジオで、ダモンテ夫妻と一緒に移住について聞いてもらう
そしてもちろん僕らのポッドキャストもありますので、聞いてみてください。