令和3年度 男木小学校卒業式 卒業生保護者挨拶

卒業生の保護者として、まずはお礼を申し上げます。このような卒業式を執り行っていただき、ありがとうございます。また、先生方が毎日子どもたちを育ててくださったこと、子どもたちが楽しく過ごせる場所を作っていただけたこと、この学校があることに感謝しております。

また、このような環境を作り上げてくださっている島と地域の皆様にも改めてお礼を申し上げます。優花を慕い、遊んでくれた先輩、後輩たち子どもたちもどうもありがとうございます。

優花さん、卒業おめでとう!男木島での生活が、優花の人生の半分を占めることになるとは、引っ越してくるときには想像もしていませんでした。

小学校に入学したとき、学校で一番小さかったあなたも今ではみんなのお姉さんですね。今、この学校にいる誰よりも長くこの男木小学校で過ごしてきたの優花さんになりました。

家では、家族が一人増えました。親の仕事も実はなんどか変わりました。

島では、パパとママの友だちとどんどん友だちになっていきました。

おじいちゃん、おばあちゃんにも親しんでもらって、通学の途中で捕まってお話もしてきました。

世界では、感染症が私たちの生活を一変させて、学校も休校しました。島のお祭りもなくなってしまいました。

私たち家族は、この美しい離れ小島で、より濃密な時間を過ごすことにも慣れました。

優花さんが大人になって、この時期を振り返ると、世界の混乱、大人たちのドタバタはどう映るのか考えることがあります。賢いはずの人たちがどんなに頑張ってもできないことがあって、それでもなんとか頑張って暮らしや仕事を作り、世界をなんとかしていたように見えてくれたら、と願います。

家族も、島も、学校も子ども幸福、安心、希望が消えてしまわないようになんとか頑張りました。世界を作り、動かすのは、本当はそうした人々の「なんとか少しでもよくしていきたい」の積み重ねだと、よく見えた数年だったのかもしれません。

これからの未来、感染症がおさまったあとも、人類の予想にないことが今まで以上に起こる予感がしています。中学生になったら、そんな未来に強く楽しく生きていける心と体をじっくり育てる3年間としてほしいです。

これからも島の人たち、先生方など、日々優花と触れ合う人々はみんなあなたを見守ってくれます。これからも一緒に考え、楽しみ、成長していきましょう。

令和4年3月16日 保護者代表 西川伸一

ムカデ対策まとめ。古民家や田舎で近くに林や畑がある家のケース。

インターネット、書籍などをいろいろ調べたまとめ。

結論としては、隙間が多くて林や土に近い家でのムカデ対策の決定版はない。なので、ここではベストプラクティスを並べます。基本は、4つ。

ひとつめ。原因に対して対策をする場合には、「他の虫が来なければ、ムカデも来ない」を原則にする。なので、結局の所、以下のような当たり前の話が並びます。

  • 穴を塞ぐ
  • 乾燥させる
  • 他の虫の餌になるゴミを隠す
  • 家の周囲に木材とかを放置しない
  • 家に触れるような雑草を生えさせない

これを全部実施するのは難しいです。なのでみんな困っているのです。だからこその以下の3つが大事になると思います。

ふたつめは、いざ出てきた時の対処法として、発見したらすぐにやっつけられる体制を整えること。ムカデが出てきたときに、殺虫剤、トングなどが別の部屋にあったりすると、見張りながら取りに行かねばならず取り逃がすことになる。ムカデのいやなところは、取り逃がした際に恐怖心が残ってしまうことで、ムカデとの戦いの半分はこの気持ち悪さとの戦いであることから、ここをがんばる。

みっつめは、蚊帳の活用で、安全安心ゾーンを確保することです。小さな子供だけ入れておいてもよいです。その際のポイントは、天井から垂らすタイプではなく、テントのように布団の下が覆われているものであることです。

最後のポイントは、刺された(正しくは噛まれた)時の対策をとることで害と不安を最小化することです。具体的な方法は、ポイズンリムーバーとお湯です。ポイズンリムーバーは、ダイバーさんから教わりました。その後聞いてまわると、環境省のレンジャー、日常的に虫に刺される可能性がある仕事の人たちは使っているそうです。口で吸い出してはいけないので、針がない注射器みたいな道具で吸い出すものです。すぐにやるのがポイント。

お湯は、43度かもう少し熱いくらいでよいらしく、それを当てることで毒の効果が劇的に弱くなるとのこと

僕は実際小さいのに噛まれた時、これらをやってほとんど痛くない状態になりました。

殺虫剤、防虫剤、軟膏などについて

正直、どのような効果があるのかが見えにくいです。うちでは、スミチオン、オルトラン、家の周りにまく白い粉などをすすめられて実際にやってみましたが、効果を実感することはありませんでした。

軟膏についても同様で自分では経験がないので、なんとも言えないですが、お湯をかけるのを薦めている記事の最後にリストがあるので買っておいてもいいかもしれません。こちらにもいくつかよさそうなのが並んでるんですが、高いです。

まとめ

要するに、家の中も外もきれいにメンテする、でも解決策はないので安全策や対処策を講じる、なによりも安心を確保することでうまく共存するというのが今のところの結論。

令和三年度 男木小学校入学式 祝辞

ご入学おめでとうございます!

今日から小学生ですねえ。楽しく勉強したり、遊んだり、給食を食べたりしましょう!

でもさあ、困ったことがあったらどうしましょうか。悲しいときはどうしましょう?やりたいことがあって、なにかお話したいときはどうする?

はい。困ったこと、悲しいこと、やってみたいことがあったら、大人に相談してください。学校の先生方と地域のおじさん、おばさん、おじいちゃん、おばあちゃんたち、それからお父さんやお母さんは、みんなが幸せに暮らして、大きくなるのを手伝うチームなのです。

つまんなくなっちゃったらいいましょう。悲しくなったら教えてください。給食が食べられなかったら、言いましょう。やってみたいことがあったら、教えてください。お願いします。では、今から、大人とお話します。

では、大人の方々に向けて。

親と学校、地域と学校の風通しのよさについて考えています。

私たち保護者も一緒に教育について考えてみようということで、学校、保護者、地域の人たち、香川大学の大学院生が集まって進めているのが、『男木島、未来の教育プロジェクト』です。授業の時間を使って、妻の真理子さんがファシリテートしながら、地域の大人たち、学校の先生、用務員さんの協力を得て、大学のお姉さんと一緒に子どもたちが動き回り、1年かけて桜の木がある裏山の空き地に丸太のブランコが出来上がりました。あれこれ試したり失敗したり。企画会議、反省会、学校との相談と、私も見ていて大変そうでしたが、それはコミュニケーションの繰り返しでした。風通しはコミュニケーションの量なのかもしれません。

めおんの出る港の前で、春、夏、秋の放課後、子どもたちが遊んでいるのもなかなかいいものです。小学生や保育所の子供たちが自転車に乗ったり棒を振り回したりして遊んでいます。親たちも立ち話をしたり子供たちと軽く運動をしたり、道ゆく人たちと話をしたりします。

4時55分ころになると、最終の5時のフェリーに乗って高松に帰る先生方が通りかかり、親と子と先生、地域の方々が全部揃って、一瞬だけ話をしたり挨拶をしたりします。子供の面白かった話をしたり、ちょっとした相談をしたり、冗談を言い合ったりします。会釈をするだけでもだいぶ違います。風通しのよさは、すれ違う頻度かもしれません。

社会があって、子供たちがいて、大人たちはそれぞれの仕事や生活を頑張りながら、なんとなく連帯して子供達を見守り、面白いこと、学び、美しいことを子どもたちの毎日に手渡していく。

これってもしかして、人類発祥以来の理想なんじゃないか。そこを目指して文明や文化は変わってきたのではないか。と思います。

残念ながら、日本や世界では、この理想はこれまでも、今でも、実現されていない。領土争いがあったり、狩、漁、畑、ものづくり、仕事があって忙しかったり、それでも貧しさがあったり、病気が流行ったりしてできないんです。そうだったらいいのになということを忘れたことにして、大人がばらばらになって、目の前の課題に取り組んでいるうちに、子供たちは成長してしまう。そういう世界ではないかと思います。

この学校はどうでしょうか。男木島にも大変さがありますが、この学校には、子どもたちもみんなも楽しく過ごす何年かの時間を作れる環境があります。私たち親も近所の人たちも少しずつ話し合う準備はできています。

先日、6名の先生が男木島を離れ、新しい学校で働くことになりました。男木島は、新しい先生方を迎えました。

『男木島、未来の教育プロジェクト』が始まった時、私が前の溝渕校長先生にリクエストしたことは「せっかく少人数なので、2学期までに勉強を全部終わらせていただいて、3学期はなんか面白いプロジェクトとかやってくれませんか?」でした。だいぶ無理がありまして、今では笑って反省していますが、あの時は、学校が何を考えているのか、何に困っているのかが分からず、先生たちがどんな人たちでどんな風に子供たちを見ているのかも知らなかった。結果として、そんな無茶な要望を真顔で言ってしまったわけです。風通しが悪いということは、相手を知らず、結果信頼できていないということだと思います。話をしてみれば、「あれ?この先生は僕の子供について、僕が知らないことを知っているぞ。そして、じっくり向き合ってくれているんだな」と思うわけです。

というわけでみなさん!風通しのよいチームを作っていきましょう。お互いのことをよく知ったり、話し合ったり、ちょくちょくやっていきましょう。先生方、みなさん、よろしくお願いします。

はい。長くなりましたが子供たち、大人はみんなで応援しています。楽しんでください。

男木小中学校PTA会長 西川伸一

令和2年度男木小中学校入学式 PTA会長祝辞

本日の入学式にあたり、PTAを代表いたしまして、お祝いの言葉を述べさせていただきます。

本日はご入学、おめでとうございます。

感染症、新型コロナウイルス、COVID-19がパンデミックを起こし、世界中の国々、町、学校、家族が動けなくなってしまっている世界の状況で、本日、こうして集まって、お二人の入学を記録する儀式を挙げることができることもまた、喜びたいと思います。なんだかんだ、ないと寂しいものですね。

さて、東京では昨日、安倍首相が東京、大阪、福岡などの大きな都市で緊急事態宣言を出しました。日本の政府が前回、自らの意思でこのような宣言を発したのは、今から79年前の戦争を始めるときでした。これが何なのかを簡単にいうと、「マジでヤバイから本気出します。なのでみんなしっかりついてきてよ」宣言です。

3週間前の卒業式、私はこの場所で、今日と同じように、3つのお話をしました。ひとつ、みなさんの寿命は、病気や事故なくいけば、100歳くらいであること。ふたつめ、みなさんが生きる未来は信じられない形で変わり続け、予測ができないこと。みっつめは、変わり続ける世界で楽しく生きる秘訣は、私たち自身が変わり続けることだということです。今日は、もう少し深く、どうすれば変化できる人間になれるのかと、最近私が考えたことをお伝えします。

私たちが今生きているこの世界は、ほんの3週間前とは違う世界です。去年の春と比べると、想像もできない世界になってしまいました。

日本中の春休みが、夏休みみたいな長さになるなんて、そんなことがあり得ると考えたことはありましたか?オリンピックが中止になるなんて、想像もしませんでしたよね。会社に行っていたたくさんの大人が、家のリビングから仕事をするように変わるなんて。。。

今からちょっとタイムマシーンに乗って、去年の自分に会いに行くことを想像してみてください。「やあキミ、ボクは一年後の未来から来たキミだよ。あのね、感染症が大変なんだ。世界中の病院で毎日人が死んでしまって、人類は普段の生活をやめてみんな家で大人しくしてる。日本でも春休みが夏休みの長さになって、オリンピックは延期だよ。それから、志村けんさんが死んでしまった。みんな悲しんでいて、怖くて、テレビはそのことばかり話しているんだ」

去年の僕たちが、こんなことを言われたら、信じられたでしょうか?アハハハ、そんなSFみたいなこと。。。と反応したでしょう。多分。こんなことを「本当に」信じて受け入れることは、無理でした。

未来はわからないんだ、予測できないんだ、僕はもう何年も、そんなことを考えながら生きてきました。それでも、まさかこんなことになるなんて思いもしませんでした。こんな変わり方をするなんて想像できなかった。そして、私たち自身が、こんな風に社会の動かし方を変えることができるなんて、想像できていませんでした。

でも今はできる。想像力。これが、未来を生きるためのヒントなのだと気が付きました。

この感染症による非常事態は、いつかは必ず終わります。1年か2年すると、病気を治す薬や病気にかかりにくくするワクチンが出てきます。インフルエンザやエイズのように人間が緊急事態っぽくない形でコントロールできる世界になり、学校は始まり、オリンピックは開かれ、人々はまた外を自由に歩き回り、握手やハグをして、オフィスで打ち合わせをして、カフェでお茶をして、レストランで食事をし、旅行をするようになります。

でも、その新しい世界は、こないだまでの世界とはだいぶ違っています。人類は変わってしまったのです。人は、もっと柔軟で、自由になります。自分たちは人類として危機が迫ったときにはオリンピックや学校や仕事や電車やお店を止めてしまえる生き物なんだということに世界中が気がついたのです。「コロナで大変だったときはあんなことやこんなこともできたんだから、今だって何かできるよ。できない理由はないじゃないか」という考えが、みんなの頭の中に生まれ、無くなることはないのです。コロナのことを考えなくて済んだ世界のことは懐かしく感じられることでしょう。環境問題は人間をコロナウィルスよりも多く殺してしまっています。でも、対策することは無理なんだとみんな思っていた。これも、できると感じる人が増えたはずです。みなさんも、学校が休みになってみて「あれ?学校ってなんだろう。宿題ってなんだろう。日本中の子どもが学校に毎日集まるこの感じって、何なんだろう?」って、ちょっと考えてみた人もいるんじゃないでしょうか。この世の中に、決まっていることなんて、ないんです。私は男木島に来るフェリーを止めたり便数を減らすことを提案しようかなと思っています。

今から700年くらい前のことですが、ペストという感染症で、人間の3人に1人が死んでしまったことがあります。本当に怖かったことだと思います。この感染症を通して、人類に起こったことをいくつか紹介します。

100年間ずっと続けていた戦争をおしまいにしました。たくさんいた奴隷たちが解放されました。神様について、考え方が変わりました。芸術が大盛りあがりしました。ルネサンスと言いますが、その意味は、「もう一度生まれる」という言葉です。これから、そういうことが、もう一度起こることになります。

今、私達にできることは、新しく生まれ変わるその未来に備えて、まずは生き残ることです。外に出かけるときには、マスクをしましょう。人が集まってワイワイやっているところには行かないようにして、薬やワクチンができるまで、できるだけ病気にかからないでいましょう。人に、病気を移さないようにしよう。そのうえで、少しずつ、想像力がパワーアップした未来を楽しみにしながら、自由になった世界で自分たちに何ができるのかを想像してみましょう。

男木小中学校は、先生も保護者も地域もだいぶワイルドで、変化を楽しめる学校だと思います。何かいいことを思いついたら言ってみましょう。校長先生もいつも言っていますが、やってみなくちゃわからないのです。変だと思われちゃうかなと心配してしまうことでも、やってみましょう。無理かもしれないと、昔なら思っていただろうことを、やっちゃいましょう。それが、自分も変わり続け、社会も変え続けて生きるということなのだと思います。あと半年や一年、2年はこんな感じで大変な状況が続きます。せっかくですから、いろんなことを想像して、やってみて、変わり続ける自分の練習してみましょう。

今日は入学式という人生の節目ですから、未来の話をしてみました。あらためまして、おめでとうございます。これで挨拶を終わります。

令和2年4月8日
高松市立男木小中学校PTA会長
西川伸一

令和元年度、男木小中学校卒業式のPTA会長 祝辞

昨年のものはこちらにあります。今年も、PTA会長として挨拶をしてきました。子どもたちの大事な日に、何かを伝えられるかもしれないというのは貴重な機会でした。そんな聴衆、なかなかいないですよね。

というわけで、以下が祝辞の全文です。


祝辞

本日の卒業式にあたり、PTAを代表いたしまして、お祝いの言葉を述べさせていただきます。

本日はご卒業おめでとうございます。
ご来賓のみなさま、地域のみなさま、本日はお忙しい中、ご臨席を賜りましてどうもありがとうございます。

校長先生をはじめ、諸先生方には日頃から、子どもたちを優しく、厳しくご指導いただき、本当にありがとうございます。

(卒業生のお名前)、ご卒業おめでとうございます。いろいろ考えて来ましたので、大人の一意見として、聞いてみてください。

昨年の卒業式でも、今日と同じように、私はここで挨拶をしました。その時は、みなさんの寿命は何歳なのかという話をしました。

はい、そうです。みなさんは病気、事故なく生きていけば、100歳まで生きることになります。22世紀を、大変元気に迎えることになります。そんな未来の話もしました。そして、未来の世界の様子は分からない、ということも言いました。

もうすぐ実現する自動運転、月に秘密基地、人間の形をしたロボットのサッカーチームが人間に勝つ、3Dプリンタで家や町を作る、火星に人間が住み始める、、、そんな世界がどうやらやってきそうだということです。

日本や世界はどうでしょう?

日本は、高齢者が増えて、子どもたちの数が減っていて、人間の数がどんどん減っていきます。政治や経済のことを考える人たちは、人口が減っていくことをとても心配しています。人が減ると、働く人もものをやサービスを買う人も減るので、経済が小さくなっていくという心配です。

世界では、国と国の境目がなくなり続け、これまではバラバラに暮らしていた人たちの、異なる文化、異なる言語、異なる宗教や考え方が、どんどんどんどん混じり合っていきます。これは、歴史上初めてのことなので、何がどうなることやら分かりません。

そうした未来の世界を迎えるにあたって、私たちが知っていることはとても少ないです。ただ、確実にわかっていることが一つあります。それは、「私たちには未来の技術や社会や人間のことは、分からない」ということです。分からないんだ、ということだけが分かっています。この分からなさのことを、不確実性と言います。

そんな不確実な世界を迎えるにあたって、私たちはどう生きればよいのでしょうか?

私は、変化を楽しむということだと思います。変わることは面倒くさいですし、時間も体力も使います。お金もかかることでしょう。でも、新しいことができるようになったり、新しい考え方ができるようになるということは、面白いことでもあります。これから85年間の間、5年毎に大きな変化を体験すると考えると、みなさんは人生で17回の大変化を仕事や家族や生活で起こしていくことになります。恐れずに、やっていきましょう。

どうすれば怖がらなくて済むのか。どうすれば、変化を楽しめるのでしょうか?私が、東京で働いていた頃、もう10年以上前ですが、島根県の隠岐郡というところにある海士町という島で暮らす友達がこう聞きました。「西川くん、最低限生きていくのに必要なお金ってどのくらいだと思う?」僕は、子どもたちの教育費のこと、保険のこと、東京の家賃のこと、携帯料金やら色々のことを考えて「毎月20万円、いや、毎月15万円あれば、家族で暮らせると思う」と答えました。すると僕の友達は「いやいや、5万円をタンスの中にしまっておいて、それを僕たちの島までの交通費と考えれば、それだけでいいよ。島に来れば食べるものや仕事や寝泊まりする場所はあるから」と言いました。

生きるということは、何も家賃12万円のアパートに家族で住みながら、携帯の料金を5人分払って、受験をして、時々映画を見たり本を買ったり外食をしたり、ということだけではないということを教わりました。それは、この2010年のころの、東京に住んでいた25歳位の僕にとっての生きることの定義だったのかもしれません。そんなこんながあって、私は家族でバンコクへ引っ越し、イギリスの会社で働きながら、男木島で暮らすということになっています。不思議なものです。

これから85年のことなんか、やっぱり誰にもわからないということだけが分かっています。そして変わり続ける、不確実な世界で楽しく生きる秘訣は、私たち自身が変わり続け、不確実であり続けることです。でも、結局はそれが一番楽です。世界やルールが変わっている中で、自分が同じままだったら大変なんです。

変化を受け入れるということは、変化を受け入れて自分も変わっていくということです。覚悟や工夫が必要かもしれません。でも、それが一番楽で、楽しい方法です。そして、そのときに「タンスに5万円あれば別に死にはしない」そして「なんとなったら帰れる島がある」ということが、支えになってくれると思います。気楽にやれるといいですね。

ところで、変化は、変に化けると書きます。自慢ではありませんが、私も変だ変だと言われます。そしてそれはとてもいいことだと思っています。これからの変化し続ける世界では、最初から変わったところがあるというのは、実はお得なことです。自分の中で、人とは違うことを探していきましょう。ぜひ、「やってみなくちゃ分からない」の精神で。

男木島をいつか出ていき、でも、帰って来られる場所があって、そのことを支えにしながら、広い世界、しかも変わり続ける世界で、のんびりと楽しく暮らしていただければと思います。僕も寿命があと50年くらいあり、変化のタイミングが10回くらいはあると思いますので、一緒に頑張りましょう。

今日は卒業式という人生の節目ですから、未来の話をしてみました。あらためまして、おめでとうございます。これで挨拶を終わります。

令和2年年3月13日
高松市立男木小中学校PTA会長
西川伸一

平成30年度、男木小中学校卒業式のPTA会長 祝辞

私、男木小中学校のPTAの会長をしておりまして、本日卒業式が執り行われまして、そちらで祝辞の挨拶をいたしましたので、記念のために原稿を保存。


本日の卒業式にあたり、PTAを代表いたしまして、お祝いの言葉を述べさせていただきます。

卒業生の皆さん、本日はご卒業おめでとうございます。
保護者のみなさま、お子様のご卒業を心よりお祝い申し上げます。
ご来賓のみなさま、地域のみなさま、本日はお忙しい中、ご臨席を賜りましてどうもありがとうございます。保護者を代表して、心よりお礼申し上げます。
校長先生をはじめ、諸先生方には子どもたちを優しく、厳しくご指導いただき、本当にありがとうございました。

Aさん、Bさん、Cさん、今日まで元気に育ってきてくれて、本当にありがとうございます。私たち男木島の大人たちは、あなたたちが楽しく元気に育ってくれていることに感謝しています。

さて、突然ですが、今日はみなさんの寿命についての話をいたします。みなさん、自分の平均寿命は何才なのか、知っていますか?何才まで生きるのでしょうか。昨年のデータによれば、日本人の平均寿命は男の人が82才くらい、女の人は87才くらいだということです。ここで気をつけないといけないのは、これは、今、日本で生きている日本人全員のことで、今ここに座っている子どもたち、あなたたちが何才まで生きるのかを計算したものではないということです。

さて、では卒業生のみなさんの寿命の正解を申し上げますと、ざっくり言いまして、今子どものみなさんは100才まで生きることになります。人生、100年です。それから、80才になったとき、今の80才とは比べものにならないくらい、元気に暮らしているだろうと言われています。

今の70才、80才のおじいさん、おばあさん、だいぶ元気ですよね?でも、もっと元気だということなんです。だいたい今の60才くらい、つまりみなさんのおじいさん、おばあさんくらいの元気さで、今でも仕事をしたり元気に旅行にでかけたり、山登りをしたりしていると思うのですが、そのくらい元気で80才を迎えます。

どうでしょう。中学校を卒業する15才の二人はあと85年、小学校を卒業する12才のCさんはあと88年生きます。西暦で言って、だいたい2105年ですので、22世紀ですね。ドラえもんが22世紀から来てますので、その世界を生きることになりそうです。

どんな世界なんでしょうか。未来学という未来のことを研究する人たちが、どんなことを言っているのか調べてみました。

あと10年もすると、みなさんは25才くらいですが、車は自動運転になって、座っているだけでよくなるようです。運転免許証を使う機会も、あんまりなさそうですね。20年たつと、月に基地ができて1000人くらいが暮らしています。30年たつと、人間の形をしたロボットが、人間の最強チームに勝って、食器洗いや掃除などはロボットがやるようになります。50年たつと、3Dプリンタで街を作るようになります。火星に人が住み始めるのが100年後、ということで、みなさんもがんばればギリギリ間に合います。宇宙旅行が可能になるのは、大人になってしばらくしたころには確実で、孫が生まれる頃には、ちょっとしたお金持ちならいけるようになっていて、ひ孫が生まれる頃には、今の海外旅行くらいになってるようです。信じられないかもしれませんが、多分本当です。ぼくが皆さんの年齢だった頃には、車を運転する人は紙の地図を見ていましたし、電車の駅の改札口には、切符を受け取る駅員さんが10人くらい立っていました。まさか、携帯電話で話をしたり、インターネットで調べ物をしたり、Google Homeに声で話しかけて歌を流したりすることになるなんて、思ってなかったんです。だから、自動運転の車くらいのことは、まあ起こるだろうなと思います。

さて、だからなんなのだという話です。そういう世界だから、どう生きろというのか、気になりますか?僕もこの10年くらい、そんなことをずっと考えているのですが、残念ながら、ぼくにも答えは分からないのです。これからの日本、世界は、こんな調子でどんどん変わります。そして、そういう世界を生きたことのある人はいないのですから、誰にも答えは分からないのです。みんなが当たり前に100年生きるという世界もまだ来たことがないので、答えは誰にも分からないのです。ですから、楽しくやって生きていくのが大事です。そのために、これから何十年も元気に暮らしていく僕たちとして、何を勉強したらいいのかを考えましょう。どんな遊びをして、どんなことにチャレンジして、生きていけばいいのか、これからの中学校生活、高校生活、それからその後の80年くらいを楽しくがんばっていってください。

今日は卒業式という人生の節目ですから、未来の話をしてみました。あらためまして、おめでとうございます。これで挨拶を終わります。

平成31年3月15日
高松市立男木小中学校PTA会長
西川伸一


お気づきのみなさんもいらっしゃると思いますが、僕が最近読んだ、こちらの本のベースにもろに影響を受けて書きました。

LIFE SHIFT リンダ・グラットン、アンドリュー・スコット著

面倒な人は、漫画版もあります

男木島郷土唱歌の歌詞

男木島郷土唱歌という島民にながく歌い継がれてきた歌。

島民みんなが歌えます。歌詞が数十番あります。どんどん足されているらしく、最新は小中学生が学校再開を記念してなのか作ったものと聞いています。

1. むかしながらにかんばしく、

びさんの瀬戸のまんなかに

空ゆく雲もよどまする、

その名も雄々し男木の島

2. 波は静かに、松あおく

白き砂浜、奇岩あり

うろこのごとく重なりて

屋並(やなみ)にぎわう、百八十

3. 世におくるるを恥となし

進取(しんしゅ)をむねに何ごとも

共同一致を盾として

情けに深く、義につよし

それで、そのコード進行は多分以下なのでメモ。

C むかし | C ながらに
G 芳し | C く
C 備讃の | Am 瀬戸の
F 真ん中 | C に
G そらゆく | G くもも
F 淀ます | G る
C その名も | F 雄々 G し
C 男木 G の | C 島

Am G からサビのとこは一度 C に戻しても可。

iPhoneでポッドキャストを購読して聞く方法

ポッドキャストを iPhone で聞くのってどうやるの?というご質問をいただきましたので、ご紹介します。もちろん、このウェブサイトのポッドキャストのページからプレイヤーのボタンを押して聞いてくれても嬉しいんですが、そのページを閉じると聞こえなくなりますし、インターネットに繋がっていないところでは聞けなくなってしまうので、アプリを使ってほしいです。

Apple の Podcast というアプリを探してインストールする

App Storeを開いて、Podcastで検索してインストールしてください。

App StoreでPodcastと検索したところ
App StoreでPodcastと検索したところ

こんな感じで追加されます。
こんな感じで追加されます。

Podcast アプリでポッドキャストを購読する

iPhone のポッドキャストアプリで検索しているところ。いろいろ出てくるのでお目当ての番組をタップする。
iPhone のポッドキャストアプリで検索しているところ。いろいろ出てくるのでお目当ての番組をタップする。

そうすると、登録ボタンが出てくるの押してみよう
そうすると、登録ボタンが出てくるの押してみよう

こんな感じで登録済み(購読中)のポッドキャスト番組のリストが出てくるのでここから聞けるようになる。
こんな感じで登録済み(購読中)のポッドキャスト番組のリストが出てくるのでここから聞けるようになる。

この状態になると、ポッドキャストが更新されると自動的にダウンロードされて(ダウンロードは手動にも切り替えられるよ)、落ち着いて聞くことができるようになる。

RSSフィードのURLを使ってPodcast アプリでポッドキャストを購読する

上記のように検索して探さなくても、RSSフィードのURL(男木ラジオの場合は https://ogi.osampo-radio.com/feed/podcast/ja)を直接登録して購読することもできます。

マイPodcastの画面左上の+ボタンをタップして、
マイPodcastの画面左上の+ボタンをタップして、

URLを入力するだけ
URLを入力するだけ

生に目的はない

友人の Noel Tock が年始にシェアしていたこの動画がやばい。

最近ずっと聞いている。翻訳してみた。難しかったのは以下の言葉。

「playful: 遊び心にあふれた」「travel/journey: 旅行/旅」「end: 終わり/目的」「the thing: そのこと」


Alan Watts “Life has no final destination”

The existence, the physical universe is basically playful.

存在、この世界は playful だ。

There is no necessity for it whatsoever. It isn’t going anywhere.

世界に”必要なこと”なんてなにもない。どこにも向かわない。

That is to say, it doesn’t have some destination that it ought to arrive at.

つまり、たどりつかなくてはならない目的地などない。

It is best understood by analogy with music. Because music, as an art form is essentially playful. We say you play the piano. You don’t work the piano.

音楽にたとえると分かる。音楽、芸術としての音楽は本質的に playful だ。”play the piano”とは言うが、”work the piano”とは言わない。

Why? Music differs from, say, travel. When you travel, you’re trying to get somewhere.

なぜか。音楽は travel (移動)とは違う。travel する時、人はどこかを目指している。

And of course we, because being compulsive and purposive culture, are busy getting everywhere faster, faster, and faster, till we eliminate the distance between places.

私たちは、衝動的で合目的的な文化に暮らしているので、すべての場所にもっとはやく、もっとはやくとたどりつこうとする。場所と場所のあいだの距離を消去している。

So you eliminate the distance, and you eliminate the journey. The fun of the journey is travel, not to obliterate travel.

距離を削除しながら旅(journey)をなくしている。Journey の楽しみは travel(移動)すること自体にあり、travelをなくすことではない。

In music, though, one doesn’t make the end of a composition. If that were so, the best conductors would be those who played fastest. And there would be composers who wrote only finales. They would go to a concert just to hear one crashing chord. Because that’s the end!

ひるがえって音楽ではどうか。人は曲の終わりに向かっているわけではない。もしそうであったなら、速く演奏するのがもっとも素晴らしい指揮者ということになるし、作曲家はフィナーレしかかかない。聴衆は、ひとつの和音を聞くだけのためにコンサートに行く。なぜならそれが end (終わり/目的)だから。

Say when dancing. You don’t aim at a particular spot in the room that’s where you should arrive. The whole point of dancing is to dance.

ダンスするとき、部屋のある特定の到達すべき地点を目指してはいない。ダンスをすることの意味は踊ることにある。

Now, but we don’t see that as something brought by our education into our everyday conduct.

ところが、教育が私たちの日々の営みにもたらしているものは、このように捉えることができない。

We’ve got a system of schooling which gives a completely different impression. It’s all graded and what we do is, we put the child into the corridor. With a kind of, “Come on, kiddy, kiddy, kiddy” and they all go to kindergarten, and that’s a great thing because when you finish that you get to the first grade.

私たちは学校システムから、まったく異なる影響を受ける。すべてに段階がある。私たちは、小さな子どもをこのシステムの廊下に連れていって「おいでおいで」をする。子どもたちが幼稚園に行く。素晴らしい。なぜなら幼稚園が終わると一年生になれる。

And then come on first grade leads to second grade and so on and then you get out of grade school you got high school, and it’s revving up, the thing is coming, then you’re going to go to college. And then graduate school, and when you’re through with graduate school, you go out to join the world.

それから一年生は二年生へ、、、と続き、高校へ。加速していく。「その時」は近づいている。大学へ進み、卒業し、大学院へ進み、それが終わると、外へ出て、世界に参加する。

Then you get into some racket where you’re selling insurance. And they’ve got that quota to make, and you’re gonna make that. And all the time that “thing” is coming. It’s coming, it’s coming. That great “thing.” The success you are working for.

それから保険を売る仕事に就く。ノルマがあるので、それを達成する。そうしているあいだ、「その時」は近づいてきている。だんだんと近くに、到着にむかっている。達成すべき「成功」に。

Then you wake up one day about 40 years old. You say “My God, I’ve arrived.” And you don’t feel very different from what you’ve always felt. And there’s a slight letdown because you feel there’s a hoax. And there was a hoax! A dreadful hoax.

40才くらいのある朝目覚めて「神よ!たどりつきました!」と言う。でもこれまでとあんまり変わった感じがしない。むしろ少し期待はずれだ。なにかに騙された?インチキだ。恐ろしいイカサマがあった。

They made you miss everything by expectation.

このインチキのせいで、すべてを取り逃した。ある勘違いのせいで。

Look at the people who live to retire. They put those savings away. And then when they’re 65 they don’t have any energy left. They are more or less impotent. And they go rotten in old people, senior citizen’s community.

リタイアするために生きてる人たちがいる。後生大事に貯金してきた。65才になって、活力も気力もなくなった。そして、老人コミュニティーの中でくさっていく。

Because we simply cheated ourselves the whole way down the line.

人生の途上、自分たちをずっと騙してきたから。

We thought of life by analogy with a journey, with a pilgrimage, which had a serious purpose at the end and the thing was to get to that end, success or whatever it is, or maybe heaven after your death.

人生について、旅(journey)になぞらえて考えてみた。この巡礼の旅の終着点には、切実な目的があって、そこにたどりつこうとしていた。成功でもいいし、なんらかの目的へ向かっていた。死後の天国のことでもいい。

But we missed the point the whole way along. It was a musical thing, and you were supposed to sing or dance while the music was being played.

しかし、人生の途上、ずっと勘違いしていた。生きることは、音楽だ。そして、音楽がならされているとき(playされているとき)、あなたは歌ったり、踊ったりしているべきだった。


どうですか。文字起こしに間違いがあるかもしれない。翻訳も間違えてるかもしれないので見つけた人は教えてください。